アナログ人間だから、自分のスケジュールは手帳に書き込んで管理する。現役のころは年末に会社から支給された。今は師走に入ると手帳を買う。手帳に付いてくるアドレス帳はいちいち更新しない。前に書き込んだものを使っている。今年(2016年)もあと1カ月ちょっとになった。いつもの年よりは早く、同じ書店へ行って同じ手帳を買った。
ふだんから前の年の手帳を座卓に置いている。その年の手帳に先々の行事を書き込むのだが、書き込み不足で場所や時間が不明なときがある。そういったときの参考にする。
行政区やいわき地域学會の行事は、1年の流れがほとんど決まっている。「ルーチン」を踏まえつつ、手帳に予定を書き込むことでダブルブッキングが避けられる。手帳の第一の効用がこれかもしれない。それぞれの組織の経過報告にも役立つ。2017年の手帳と合わせると、今は3冊=写真。年が明けると2冊に戻る。
ここからは白日夢――。今使っている手帳がある日突然、なくなったとする。たとえば、日曜日の夕方。ホームセンターへごみネットを買いに行ったあと、魚屋へ直行して刺し身を買う。家に戻ってすぐ、近所の人に電話をかける。そのあとに「あれっ、手帳がない」と気づく。あそこで手帳を取り出した、次にズボンの尻ポケットに戻した。瞬間、瞬間の記憶はあるのだが、それから先がない。
手帳のカバーのすきまに紙幣をはさんでいる。手帳は財布を兼ねる。図書館の利用カード(キャッシュカードは持っていない)なども内カバーに差し込んである。カードを再発行してもらわなくちゃ、住所録も作らなくちゃ……。血圧が上がって頭が真っ白になる。
カミサンに頼んでホームセンターと魚屋に電話をしてもらう一方、ホームセンターの駐車場へ車を走らせる。カミサンからケータイに連絡が入る。店にはない。落とし物としても届いていない。駐車場にも落ちていない。
日が暮れる。いったん帰宅して、もう一度考えなおす。と、カミサンが「『2016年』って書いてあるけど」と、座卓にあった手帳を差し出す。それだ、それを探していたのだ――というところで悪夢が醒める。
土曜日の夜、遅くまで街の酒場にいた。その後遺症が翌日の夕方まで続いたのだろう。よどんだ頭のままで用をすませて帰宅し、無意識のうちに手帳を座卓に置いた。すぐ電話をかけた。と、そのあと、ズボンの尻ポケットを探ったら手帳がない。「落とした!」と短絡した。
翌日、師走前なのに新しい手帳を買ったのは、他人を巻き込んだ空騒ぎに懲りた反動だったか。
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