2016年11月1日火曜日

「ここではないどこか」

「いわきまちなかアート玄玄天」という美術展が開かれている。平・三町目の「もりたか屋」を主会場に、街なかや芸術文化交流館アリオスなどに作品が展示されている。
 土曜日(10月29日)、いわき市立草野心平記念文学館で作家の林真理子さんが「私が描いた女性たち」と題して講演した。11月13日まで開かれている企画展「寂聴 愛のことば展」の一環だ。同時刻に街の生涯学習プラザでいわき地域学會の「いわき学検定」2次試験が行われた。そちらに立ち会いながら、文学館へカミサンを送り、迎えに行った。

 文学館にも玄玄天の作品が展示されている。いい機会なので、それを見よう――ところが、どこに作品があるかわからない。午後3時半、講演会が終わって、人がぞろぞろ小講堂から出てくる。それとは無関係に、アトリウムロビーに立って分厚いガラス壁面を見ているカップルがいた。玄玄天のスタッフだった。「作品はどこ?」「これです」。ガラス壁面を指さした。「ええっ!」

 文学館へ行くと必ずガラス壁面越しに、真向かいに広がる二ツ箭山を望む。ガラス壁面には心平の詩「猛烈な天」3連11行が記されている。その第1連。「血染めの天の。/はげしい放射にやられながら。/飛びあがるやうに自分はここまで歩いてきました。/帰るまへにもう一度この猛烈な天を見ておきます。」。その「猛烈な天」が広がっている。

 カミサンを送り届けたとき、二ツ箭山は頂上部が雲影に包まれ、中腹が太陽に照らされていた。ノルウェーのフィヨルドを思い出した。フィヨルドではどんどん雲が流れ、晴れたり曇ったり、雨が降ったりと、目まぐるしく天気が変わった。

 二ツ箭山の明暗が面白くてカメラを向けたら、ガラス壁面に細かい“ごみ”が付着している。それを避けながら写真を撮った。その“ごみ”が作品だった。

 焦点をガラス壁面に絞ると、ちぎれた黒い曲線(実際は白色、明るい空からの逆光で黒く見える)が無数に描かれているのがわかる=写真。少し離れたわきの壁面に小さく作者名・タイトル・コメントが書かれていた。作者は作家と同じ名前の浅井真理子さん。タイトルは「somewhere not here」(「ここではないどこか」)。

「建物のガラス窓の外に見える光や影、人々の動き、刻々と変化する事象の一瞬を追い、内と外の間の被膜をひっかくように描く架空の地図」だそうだ。「光の動きや窓やドアの動きと共に変身するこの作品を、目をこらさなければ見過ごしてしまうことを、あなたの視線で見つけてください」

 なるほど。玄玄天スタッフに教えられながらも、自分の視線で「架空の地図」を頭に描くことができた。タイトルは「ここではないどこか」だが、私には「どこでもないここ」でしか見られない作品、ここ(文学館のアトリウムロビー)だからこそ空と光と二ツ箭山と響き合う作品に思われた。若い人の発想はアトリエを離れ、内と外との被膜をキャンバスに、ダイナミックに変身を続けていた。

0 件のコメント: