きょう(11月27日)も画家の話を――。11月19日の土曜日夜、「峰丘展」のオープニングパーティーが、いわき市平のギャラリー界隈(実際は可動式の壁をはずした同フロアのレストランKITAO)で開かれた。
だれかがあいさつのなかで言っていたが、峰丘とつながる人たちのなかでは、界隈の峰丘展は師走を前にした風物詩になっている。俳句の「いわき歳時記」をつくるとしたら、私は初冬の季語に「峰丘展」を入れる。
作品に関してはまた別の感慨がある。峰が、謝辞を兼ねたあいさつのなかでこんなことを言った。「このごろ、空を見ることが増えた。ブルーグレイがところどころに見えるときがある。初めてブルーグレイの色を作品に取り入れた」
ブルーグレイ? どんな色かな。その色を使った小品を見たら、焼き物の世界でいう青磁の色だった。<雨過ぎて雲破れる処>に青空がのぞく。その青はうっすらと緑がかっていたり、明るい水色だったりする。青磁はそこから生まれた。峰のいうブルーグレイは緑がかった青だった。私は青磁色の空が現れるとついパチリとやる=写真。橋の奥の緑がかった方がブルーグレイに近い(実際はもっと緑がかっていた)。
6年前の秋、台湾へ出かけ、国立故宮博物院を見学した。陶磁器のコーナーで「雨過天晴雲破処」の逸品に出合った。青磁の最高峰という。帰国して同博物院のホームページをのぞいた。「湿潤で趣深い色合いは、正しく宋人が求めてやまなかった、雨上がりの空の青の如く明るく静けさに満ちた美しさ」。空にある湿潤で趣深い色合いに峰も出合った。
峰とは同年齢だ。おたがいに「元気」と「病気」の間でバランスをとるようになった。“サンズ・リバー”もときどき遠く近く見えたりする。
きのう(11月26日)昼前、いわき地域学會の事務局を担っていた一人、2歳下のMさん(会計担当)が病との闘いの果てに亡くなった。午後は、地域学會主催の「いわき学検定」で1、2次試験を突破した5人の「博士号」授与式を行った。終わって、Mさんのもとへ駆けつけた。
そのあと家に帰って思いだしたのだった。夜、飲み会があったことを。言い訳と哀悼とで、ブルーグレイの空がグレイになった。(峰丘展は29日まで)
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