2016年11月5日土曜日

天の指

 このごろ、雲がおもしろい。朝焼け。夕焼け。日中のさまざまなかたち。先日の夕方は、右手人さし指を伸ばしたような雲が夕日に染まっていた=写真。
 東京から客人が来た。東日本大震災で初めて国内支援に入った国際NGO「シャプラニール」のスタッフで、1年間、いわきに駐在した。いわき駅前で彼女を拾い、家へ戻る前に「神谷(かべや)耕土」の山裾にオープンしたスープカフェで一休みした。その途中で「天の指」に出合った。

 握りこぶしにして親指を立てれば「いいね」。外国人がやると思っていたら、このごろは日本人もやる。人さし指は? 小指は?――となると難しくなるからやめるが、雲は天からのシグナルだ。「おい、おまえ、ちゃんと○×してるか」なんて、人さし指でさされてしかられているようだった、というのはウソだが、車を止めて写真を撮った。雲も鳥も一期一会、次の瞬間にはかたちが崩れ、姿が消えている。

 わが家の近所にカミサンの伯父(故人)の家がある。わが家に泊まりに来た人の「ゲストハウス」だ。彼女も1年間、そこをねぐらにして職場の交流スペース「ぶらっと」へ通った。神谷の空はざっと1年半ぶり、ということになるか。
 
 雲のない青空は虚無に等しい。雲があるから青空が輝く。若いときに「嵐が丘」を読んで以来、そんな思いを抱いている。なかでも、鰯雲(いわしぐも)や鯖雲(さばぐも)、うろこ雲と呼ばれる巻積雲は今の時期、さまざまなかたちを天に描く。秋の季語でもある。
 
「白雲去来」という言葉がある。人もそうだ。彼女は休みを利用してやって来た。共に活動した地元NPOスタッフや「ぶらっと」利用者に会った。原発避難者、地震・津波被災者の「今」に触れて、いろいろ感じるものがあったようだ。

 この国際NGOが好きなのはこういうところだ。ミッション(任務)としていわきにかかわる。駐在期間が過ぎれば「はい、さようなら」ではない。その後も、個人としてかかわり続ける。なんだか親類の若者のような感じになってくる。向き合うものは個別・具体、悩みは深めるものである――それを実践するような“里帰り”でもあった。「鰯雲人に告ぐべきことならず」(加藤楸邨)ではあるが。
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  けさの新聞できょう11月5日は初めての「世界津波の日」であることを知った。「安政南海地震」で浜口陵が「稲むら」に火をつけて住民を救った故事に由来するそうだ。

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