ベルリン在住の芥川賞作家多和田葉子さんが、ドイツ語で書いた作品が評価されて、ドイツで最も権威のある文学賞のひとつ「クライスト賞」を、きょう(11月20日)受賞する。NHKのニュースで知った。受賞理由は、ユニークなドイツ語の遣い方で新しい表現の可能性を示したからだという。
東日本大震災に伴う原発事故のあと、国際NGOのシャプラニールがいわき市平に開設した交流スペース「ぶらっと」で、英語に堪能な田中さんとフランス人写真家デルフィンに会った。
デルフィンはいわきを拠点に、津波被災者・原発避難者の取材を重ね、2014年2~3月、多和田さんとベルリンで2人展を開いた。多和田さんは詩を発表した。
それに先立ち、多和田さんも平成25(2013)年8月、田中さんの案内でいわき・双葉郡、その他の土地を巡った。多和田さんは昨年(2015年)もデルフィンらといわきを訪れている。3年前も昨年も会食の席が設けられた。連絡がきて参加した=写真(2015年8月)。
デルフィンと多和田さんの出会いは、ネットにアップされている講談社のPR誌「本」(2014年11月号)で知った。<『献灯使』をめぐって…『献灯使』著・多和田葉子>のなかで多和田さんは言っている。
ベルリンで日本の震災を知り、さらに原発避難のあつれきを伝える情報に触れて「ニッポンを人が住めない汚染された場所にしてしまおうとしている集団が存在しているような気がしてきて、むしょうに腹がたった」。そこへ、震災2年目の暮れ、ロンドンに住むフランス人のデルフィン(本文ではDさん)がベルリンの多和田さんの自宅を訪ねる。
「すでに2回、福島に数週間ずつ滞在したということで、撮ってきた写真を見せてくれた。それはカタストローフェを写したセンセーショナルな写真ではなく、未解決の問題を抱えながら生活している個々の人間の顔や、思い出のしみついたまま変貌した様々な場所の写真だった。Dさんは、この先10年の福島を撮りたいのだと言う」
さらに、「2013年夏、Dさんがいわき市に住むTさんを紹介してくれて、その方の案内で(中略)たくさんの方々から貴重なお話を聞かせていただき、感謝の念でいっぱいだった」。「短編『不死の島』を展開させて長編小説を書くつもりだったわたしは、この旅をきっかけに立ち位置が少し変わり、『献灯使』という自分でも意外な作品ができあがった」
『献灯使』を読んだときにはよくわからなかったが、多和田さんの心情を重ねると、この作品は「世界文学」であると同時に「福島県浜通りの文学」だと思った。
それはそれとして――。私には、多和田さんの文学の独自性がこれなんだ、と感心した瞬間がある。田中さんに誘われて会食したあと、外に出たら雨が降っていた。8月のいわきの、あるかないかの小雨だった。突然、多和田さんが空を仰いで「○×○×――」といった。雨を独自の比喩でつぶやいたことにびっくりした。今は驚きだけが残って、肝心の「○×○×――」が思い出せない。
日常から独自の比喩に生きている作家・詩人だから、「ユニークなドイツ語」の表現になるのは当然――クライスト賞の報に接して、物書きのいのちは比喩、それは作家も詩人もコラム屋も同じ、とあらためて納得する。『献灯使』を読み直してみよう。
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