もっと早く紹介したかった展覧会だ。いわき市平字大町のアートスペースエリコーナで12月4日まで、「松田松雄没後15年展」が開かれている。雑用が重なったところに“福島県沖地震”が起きた(まだ余震が続いている)。作品は大丈夫だったか。
個展は1週間前の11月19日に始まった。松田の画業がコンパクトに一覧できるような展示構成になっている。去年(2015年)、岩手県立美術館で大がかりな回顧展が開かれた。それ以来の松田作品との対面だ。色紙を中心にした小品に初見が多かった。
今から45年ほど前の昭和45(1970)年前後の作品=写真=に再会した。すでに完成されている。このころ、松田と出会った。
おととい(11月24日)の晩、カミサンにつきあってBSジャパンの「開運!なんでも鑑定団」を見ていたら、画家斎藤真一の「瞽女(ごぜ)」シリーズの絵が鑑定にかけられた。松田松雄の絵に似てる! それも、絵を描き始めたころの作品に――。
岩手の回顧展では、会場に入ってすぐのところに昭和43年制作の最初期の作品「風景『人』」が飾ってあった。初めて見る作品だった。筆遣いは素人っぽい。様式化されるまでにはまだ至っていない。その作品を思い出した。
松田から斎藤真一の話を聞いたことがあったかなかったか。なかったと思う。が、様式化される前の作品と斎藤真一の作品の共通性を探ってみるのも悪くないぞ――そんな気になった。
10月23日には同じエリコーナで「いわきの現代美術の系譜」と題するシンポジウムが開かれた。6人の登壇者の1人として参加した。市立美術館の建設へとつながった市民団体「いわき市民ギャラリー」の活動と、それを牽引した松田松雄の人と作品を振り返り、いわきの現代美術黎明期の熱を次世代に伝えていく――というものだった。
私は「市民ギャラリー・前史」を話した。同ギャラリーを生み出す母体となった「草野美術ホール」、経営者の故草野健さん、そしてそこで出会った絵描き(松田がそうだった)や書家や高校美術部の生徒らとの「梁山泊」的な交流とエネルギーの発露について、を。
松田の初期の作品はなぜかいつも懐かしく、新しい。東日本大震災が起きたとき、松田の群像の絵が思い浮かんだ。思い浮かべるだけで慰撫された。テレビで空襲や原爆に遭った人間の映像がアップされたときも、自然番組で<世界最大の白い砂丘~ブラジル・レンソイス>や<純白の砂漠
誕生の謎~北米大陸 チワワ砂漠>を見たときも、松田の絵を思い出した。画家の想像力が生み出した内的風景がこの世に実在している。
おととい、テレビで斎藤真一の作品を見たときも、生と死という根源的な問いを発する画家の想像力と創造力の共通性を感じた。
おととい、テレビで斎藤真一の作品を見たときも、生と死という根源的な問いを発する画家の想像力と創造力の共通性を感じた。
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