2017年1月20日金曜日

おすそ分けのリレー

 カミサンが仲良くしている近所の若い奥さんから、レンコンの煮物をいただいた=写真。ちょうど晩酌を始めたばかりだった。ときどき、手製の料理を分けてくれる。晩酌のおかずが一品増える。 
 レンコンは、カミサンが近所の奥さんからいただいたものだった。それを、若い奥さんに提供した。煮物になって返ってきた。おすそ分けのリレーだ。
 
 ざっと60年前、昭和30(1955)年前後の記憶――。醤油が切れると、急に親から言われて隣の家に借りに行った。燃料のマキ(たきぎ)を節約するために、両隣で「もらい風呂」をした。「これ食べて」と料理が届いた。
 
 今は、それぞれ個室で暮らしながらもリビングやキッチンを「共有」するシェアハウスというものがあるそうだ。
 
 高度経済成長の時代には可処分所得が多かったから、身の回りの問題はカネでけりをつける、近所づきあいなどはめんどくさいから避ける、という風潮があった(これは今も続く)。
 
 経済のグローバリズムが進んだ現代はどうか。一握りの富者はより富み、多くの人はより貧しくなった。加えて、少子・高齢社会が影響しているのか、質素な生き方を求める若者が増え、晩婚化が進んだ。そうした時代の変化が「共有」と「交流」の住まいのかたちを生んだのだろう。
 
 シェアハウスの“原点”は、私のなかでははっきりしている。高度経済成長期前の「支え合う暮らし」、「三丁目の夕日」だ。シェアの意味は「共有」だけではない。「分かち合い」「支え合い」をも意味する。「自助」と「公助」の間の、隣近所の「互助」の世界――。
 
 高度経済成長前の暮らしを意識するようになったのは、新聞記者になっていわきの公害・環境問題を取材しはじめた20代後半だった。その後、バブル経済が席巻し、はじけ、それがまた繰り返されるなかで、いよいよ高度経済成長前の「循環社会」と技術革新を結びつけた先に希望があるのではないか、と思うようになった。
 
「三丁目の夕日」は、「郷愁」ではなく、あしたの「現実」。未来のモデルは60年前にあるのだと、レンコンの煮物が教えてくれる。

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