きょう(8月16日)は、朝9時には地域の精霊送りをする。きのうは夕方、行政区の役員が出て斎場づくりをした。ちょうどその時間、幸運にも雨がやんだ。
今朝は、6時から区の役員が1時間交代で斎場に詰める。各家庭からお盆の供え物が持ち込まれる。昔は各個人が川に流した。文字通りの精霊流しだ。今は環境を保全するため、ごみ収集車が回収する。5時半現在、空全体が鉛色だが、9時まで降らずにいてくれないか(時折、霧雨になった。半そでシャツでは寒かった)。
区の役員になってからは、月遅れ盆に泊まり込みでどこかへ出かけるようなことがなくなった。新盆回りが年々少なくなっている代わりに、カミサンの“盆休み”に付き合わされることが多くなった。本屋へ、図書館へ――。で、ぐるぐる巡っているうちに、じゃんがら念仏踊りに遭遇する=写真(豊間の災害公営住宅)。小名浜でも平でも鉦(かね)の音を聞いた。
精霊送りの斎場は道路に面した県営住宅集会所の前庭に設けられる。路上駐車が絶えない。14日に駐車自粛を呼びかける立て看板を出す。今年(2017年)は効き目がなかった。で、路駐の車からずらして焼香台の位置などを決めた。
15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。精霊送りと戦争も切り離せなくなった。今年(2017年)はとりわけ、感慨深いものになった。読売新聞の福島版と夕刊いわき民報がトップで同級生のシュムシュ(占守)島慰霊を報じていた。7月28日の拙ブログで同級生が北千島を訪ねたことを書いたら、両紙から問い合わせがあった。
8月9日朝6時前には、NHKでも同級生を追った番組が放送された。シュムシュ島慰霊の旅には北海道在住の記者たちが同行取材をした。すでに道内では放送されたはず。他地区向けの再放送だったのだろう。
14日に放送されたNHKスペシャル「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」には、ちょっと物足りないものを感じた。というのも、別の同級生の父親(樺太のある村で村長をしていた)が残した資料がある。ソ連侵攻の様子がよくわかる。歴史的に貴重な資料だ。そうした資料がまだまだ眠っている。
いずれにしても、この数年、「メディアと時代」を念頭に図書館から本を借りて読んでいる。災害や戦争といった極限の報道にメディアの本質があらわれる。「目には目を」といったような勇ましい論調が現れると危ない。
今年のお盆は、あまり知られていない「北の戦争」に触れた。帰って来られなかった人々も含めて、精霊送りでは「またおいで」と念じよう。
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