先日(7月27日)、カミサンが知人の車で楢葉町へ出かけた。晩酌しながら“報告”を聞いているうちに、4年前、知人のお父さんの実家を訪ねたときの記憶がよみがえった。それからずいぶん変わったようだ。
原発震災から6年5カ月近く――。除染が進んだ。空き家だったお父さんの実家が「木戸の交民家」プロジェクトとして、交流ハウスに利用されている。そして、先日告示された町議選は定員に達せず無投票で当選が決まった。
知人のお父さんの実家は山田岡にある。4年前に訪れたのは、首都圏からやって来た“ダークツーリズム”の一行十数人に同行してのことだった。知人が案内人になって、広野・楢葉・富岡各町を巡った。
実家には土蔵があった。ストリートビューでは、まだボロボロの土蔵が残っている。今は解体されてない。グーグルアースからは更地になった跡が見える。母屋と隠居は地震に耐えた。海側の山田浜を襲った津波も、そこまでは到達しなかったのだろう。
この建物がみんなの興味をかきたてた。城のような重厚な農家のつくりではない。瀟洒な別荘風でもない。が、地域のリーダーだったご先祖の知性がしのばれるモダンな造りだ。
周囲の田んぼも含めて除染が終わった。で、お父さんは震災前から住んでいるいわき市から、二日にいっぺん、「天気の悪い日」に実家へ通い、家庭菜園の手入れをしている。晴天の日ではなく曇天の穏やかな日が、ご老体には「菜園日和」なのだ。
屋敷内でナス・インゲン・オクラなどを栽培している。近くの田んぼでは一部を畑にしてスイカをつくっている。カミサンが大玉をひとつもらってきた。甘かった。水分もたっぷりあって、ガブッとやるとあごに汁がこぼれるようだった。
「木戸の交民家」は「古民家」をもじったものだろう。震災後、空き巣に入られた。使わずにいるよりは、使ってもらったほうが家も長持ちする。ネットで検索したら、「古民家等を再生、再活用することで楢葉町、双葉郡における交流人口の拡大、地域コミュニティ活性化に資するのが目的」とあった。補助金を生かしたプロジェクトだろうか。であってもなくても、カネの切れ目が縁の切れ目にならないような運営を、と願うばかりだ。
カミサンたちが出かけた日、「木戸の交民家」の前の道路を選挙カーが通ったという。
楢葉町議選がこの日、告示された。定数12のところ11人しか立候補しなかった。で、選挙運動は初日の一日だけで終わった。翌28日、新聞に定数割れの無投票当選を告げる記事が載った=写真。これにも町民帰還が進まないという原発事故の影響があるのだろう。スイカは甘かったが、町議選はしょっぱかったか。
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