きのう(10月19日)、用があって川内村へ行って来た。朝から雨。ジャンパーをはおり、マフラーを首に巻いて出かけた。外にいると寒かった。
村に草野心平が夏・秋を過ごした「天山文庫」がある。天山文庫の下には阿武隈民芸館。平成22(2010)年、二つをまとめて管理する組織「かわうち草野心平記念館」ができた。その1年後、原発震災が起きる。記念館も全村避難の影響を受けた。今は再生・復興の途中だろう。
天山文庫へは若いころ二、三度、阿武隈民芸館へはそのついでに一度入ったことがある。いわき地域学會が『川内村史』を請け負った際には、幕末の俳諧を中心にした「川内の文芸」と、現代の「川内と草野心平」を担当し、仕事が休みの日に仲間と川内通いを続けた。
おととい(10月18日)の福島民報「ふくしまは負けない 明日へ」欄は川内特集だった。<被災地の声>のコーナーに、同村で陶芸工房を開いている友人夫妻の愛娘、志賀風夏さん(23)が載った=写真。なんと、この4月からかわうち草野心平記念館の管理人になっていた。
彼女のことなら生まれたときから知っている。よちよち歩きの姿も、震災後に大学生になって陶芸を始めたことも。
記事にこうあった。管理人としては――若者向けの企画展を開いたり、天山文庫を使ったイベントを開催したりしたい、復興支援のために川内村へ集まっている人たちと協力して村の素晴らしさを発信したい。個人的には――陶芸を父親に学んでいる。父親は簡単に食器を製作するが、自分は思うように作ることができない。未熟さを痛感している。将来は仲間と合同展を開催できれば。
記念館を訪ね、風夏さんに会って新聞記事の話をする。「そうみたいですね」。コピーを持って行けばよかったか。風夏さんと別れてから自宅を訪ねてわかったのだが、家では別の新聞をとっていた。両親も記事を読んでいなかった。
『川内村史』や、かつていわきで開かれた心平展の話などをした。今は管理人として心平の本を集め、集中的に読み解いているところだという。木工も得意な父親に本棚をつくってもらった。自宅を訪ねたときに、父親が本棚を見せてくれた。まだまだスペースが余っている。これからどんどん心平関係本が収まるのだろう。
ま、それはそれとして、若い人同士、協力して川内の素晴らしさを発信したい、という心意気には打たれた。新聞記事を読んですぐ、6月16日に始まった「かわうち草野心平記念館」のツイート400件余を全部チェックした。発信者「中の人」は若者らしい感性に満ちていた。
いわきには市立草野心平記念文学館がある。ちょうど今、市内では心平の詩に出てくる「玄玄天」を冠にした「まちなかアートフェスティバル」が開かれている。こちらも若い人が中心になって活動している。
心平つながりでいわきの若者たちとネットワークを結ぶことはできるのではないか。それこそ合同展を開く仲間に出会えるかもしれない。
文学館のあるいわき市小川町と記念館のある川内村とは国道399号でつながっている。これを私は勝手に「かえるロード」と呼んでいる。やがて「十文字トンネル」ができると、いわきと川内の時間距離はかなり短縮される。山のあちらとこちらの若者をつなぐ声かけぐらいなら年寄りにもできそうだ。
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