東日本大震災後の平成24(2012)年11月、作家吉野せいの短編集『洟をたらした神』が文庫本(中央公論新社)になった=写真。同27年1月に再版されたものを手元に置いている。簡便でいい。
ポケットに入れて『洟をたらした神』の“現場”(いわき市好間町の菊竹山など)へ行く。わきに置いてネットで調べ物をする。作品が生まれた背景=時代・地域・生業と暮らし・子どもの遊びなど=を探ることで、いわきをフィールドにした「『洟をたらした神』の世界」を知ることができる。自分用の“注釈”づくりでもある。
せいの夫・義也(詩人・三野混沌)は中国ナシの「莱陽慈梨(ライヤンツーリー)」を栽培した(実際はせいと息子に丸投げしたようなものだが)。いわきのナシ栽培史や、莱陽慈梨が日本に導入された経緯を重ね合わせると、混沌の、中国ナシに寄せる情熱がハンパではないことがわかる。
作品解釈の究極は、作家がなぜ、どんな思いでそれを書いたかにある、と私は思っている。作品に出てくる“キーワード”を調べることが、一見遠回りのようでその近道になることを、最近知った。文庫本のおかげかもしれない。
たとえば、「莱陽慈梨」を日本に導入した国の園芸試験場の研究者と混沌の関係は? 混沌が静岡にあるその試験場へ出かけたことは? その混沌を妻のせいはどう見ていたか――夫婦の関係、あるいは夫・妻それぞれの内面を知るうえで新しい問いが次々にわいてくる。
吉野せいの研究者でもなんでもない。が、昭和50(1975)年春、『洟をたらした神』が田村俊子賞を受賞したとき、本人を取材した。こちらは26歳の若造だった。本が出版されたときには書評めいた記事も書いた。そんな因縁があって、古希近い年まで間歇的に『洟をたらした神』を読み返している。
さて、いわき市はせいの業績を記念して、文学賞(吉野せい賞)を創設した。今年(2017年)で40回目になる。おととい(10月24日)、5人の選考委員を代表して、市役所で行われた記者会見に同席し、選評と総評を述べた。節目の年にふさわしい作品がそろい、正賞と準賞のほかに、奨励賞と中学生以下の青少年特別賞各2編を選ぶことができた。
11月11日には市立草野心平記念文学館で表彰式と記念講演会が開かれる。表彰式では選考結果を報告しないといけない。記念講演会の講師は福島県立博物館の赤坂憲雄館長で、「吉野せいの世界」と題して話す。テキスト代わりに文庫本をポケットにしのばせて行くか。
0 件のコメント:
コメントを投稿