原発事故から8年近くたった今も、いわきでは、野生キノコは「食べるな」「出荷するな」という制限がかかっている。自然災害だけだったら、とっくに復旧・復興の道筋がついている。原発事故は何年たっても見通しが立たない。いつになったら野生キノコを採ることができるのか、食べられるのか。「自然享受権」を奪われた市民の怒りは、年を経るごとにマグマ化しつつある。
それはさておき、キノコが目に入ったら撮る、調べる――と決めて、この8年近くを過ごしてきた。
師走に入って最初の日曜日(12月2日)、キノコが生える隠居の庭の立ち枯れの木(名前がわからないのが悔しいのだが)をチェックしたら、幹の上部でヒラタケがしおれていた。新たに生えたキノコもあった=写真上。傘に枯れ葉がへばりついている。ヒラタケに似るが、下から見える傘裏は“ひだ”ではなく“管孔”っぽい。どうやら初めて見るキノコだ。
その週の金曜日(12月7日)、まだしおれずにいたので、幹のまたに足をかけ、柄の長い小鎌で柄を切り落とした。傘の表面は茶黒いうろこのようなもので覆われていた=写真下。
図鑑に当たったら、アミヒラタケらしい。名前にヒラタケと付いているが、ヒラタケの仲間ではない。ヒラタケはヒラタケ科、アミヒラタケはサルノコシカケ科(あるいはタコウキン=多孔菌科)だ。やわらかい幼菌のうちは食べられるが、すぐ硬くなる、とネットにあった。確かに、発生に気づいてから5日たっても姿は変わらない。触ると硬かった。サルノコシカケの仲間だということが実感できた。
この木からは毎年、ヒラタケとアラゲキクラゲが発生する。半分立ち枯れ状態だ。菌類にとっては最高のベッドなのかもしれない。内部でそれぞれが菌糸を伸ばし、時期がくると樹皮を破って子実体(植物でいう花)を広げる。それぞれの菌糸はぶつかって縄張り争いをしないのだろうか――などと、しろうとは立ち枯れの木の内部で繰り広げられるミクロのドラマに妄想を膨らませる。
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