義弟がもちづくりの采配を振る。かまどに湯釜をかけ、火を起こして、もち米の入った蒸籠(せいろ)を三段重ねにする。頃合いを見計らって、下から順に蒸籠を運ぶ。釜のお湯が減れば、義弟が水道の蛇口をひねり、私が釜のそばにあるホースを握って、「いきます」「オーケー」と連携して水を補給する。
今年(2018年)のもちつき(といっても、機械でだが)が、きのう(12月16日)行われた。もちは、お得意さんへの「歳暮」だ、いつもだと、午後3時前後にはお役御免になる。が、今年は4時にずれこんだ。お得意さんのほかに配る数が増えたらしい。
かまどに突っ込むマキは、義弟が集めた剪定枝や廃材だ。それを燃料に湯をわかし、蒸気でもち米を蒸す。不思議なことに(いや、不思議ではないのかもしれない)、「釜じい」をするたびに沸騰水型の原子炉を思い出す。ありふれた民の家でさえ「空焚き」にならないよう、絶えず湯釜をチェックする。それでも、ヒヤッとするというのに、1Fでは最悪の事態への備えを怠った。
今年(2018年)の燃料は、主にカミサンの実家の庭にそびえるケヤキの剪定枝を利用した。なかに1本、桜の樹皮に似た細い枝に点々と穴が開いていた。断面も穴だらけだった=写真下。数えると30前後はある。キクイムシだという。すさまじい食害痕だ。自然界ではこうして人知れず、いきものたちの攻防が展開されている。
水を足したときには一気に過熱するために杉の角材を使った。杉はパチパチはぜて火の粉を散らす。煙突からも火の粉が出る。茅葺き屋根が普通だった時代、かまどや風呂の煙突からの火の粉がもとで火事になることがあった。ふるさとが大火事に見舞われた原因もそれだった。西風の吹く日、杉の木を燃料にしたか。
一日中かまどにマキをくべ、揺らぐ炎を見続けた。煙で目がシブシブし、膝あたりが熱せられて、何度も右・左と足を動かした。顔が“火焼け”した。右手親指の先が痛い。見ると、やけどをして水ぶくれができていた。上着にはうっすらと、木酢液と同じにおいがついた。
「釜じい」の仕事を終えると、いよいよ年の瀬。一日はたらいたという思いと、「平成最後のもちつき」という感慨が交錯した。
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