2018年12月31日月曜日

年末みそかの一日

 今年(2018年)もきょう一日だけになった。一年を振り返る余裕は、あるようでない。やることがある。
  年が明けるとすぐ、いわき地域学會の1・2月市民講座の案内はがきを印刷して出さないといけない。そのための原稿づくりがある。講師を担当する会員とやりとりして、やっとおととい印刷データを仕上げた。ついでに、年賀状の原稿もつくって印刷した。

先日、行政区内の細道で交通事故が起きた。カーブミラーがあるところだ。そばの住民が来て、カーブミラーが見づらいのではないか、もっと前に出せないか、という。カーブミラーがあるところで事故を起こすのはよほど不注意だ、と応じたものの、それで打ち切るわけにはいかない。いちおう役所に聞いてみる、ということで帰ってもらった。

この問題を越年させるわけにはいかない。役所の仕事納めの前日、市道路管理課へ出かけて話を聞いた。私と同じ見解だった。

年内にすませておきたいことはすませた、という意味では、みそか(30日)・大みそか(31日)と、珍しくゆとりをもって過ごせそうだ。

とはいえ、みそかにはみそかの“仕事”がある。わが家では、私がこたつに座りっぱなしだから、カミサンが「家長」的な仕事をする。一夜飾りはよくないというので、きのうは玄関その他に正月様を飾った。夏井川渓谷の隠居へも行って(私は運転手)、玄関には正月様=写真上、床の間には餅を飾った。

晴れてはいたが、風が強かった。渓谷では、雪がふっかけていた=写真下。隠居のプロパンガス代がたまっている。上流の川前町の店へ払いに行くと、店主が「志田名(しだみょう)は雪だった」という。志田名は川前でも山奥だ。西側の阿武隈高地では、山を越えてきた雪雲が残りの雪を降らせる。標高の低い渓谷あたりになると、ふっかけだけになる。もっと低い平地ではただの寒風が吹き荒れる。いわきならではの冬模様だ
渓谷からの帰り。午後2時過ぎの太陽にまぶしさを感じなら運転していると、不意に吉野せいの作品「梨花」を思い出した。昭和5(1030)年12月30日午後3時半ごろ、せいの次女・梨花が亡くなった。<今ごろ、梨花は死の淵にいて、両親が梨花の手を握っていたのだ>

それから88年後の同じ日――。渓谷へ向かう前、前の日曜日によそのまちへ行っていた下の孫を連れてクリスマスプレゼントを買いに行った。夕方には、大学1年生の“孫”が両親とやって来た。おみやげをもらった。上京後、実家で迎える初めての年末年始だ。アカぬけているのにびっくりした。カミサンも「きれいになったね」と驚いていた。

さて、大みそかのきょうはこれから回覧資料を配る。これが、私の「仕事納め」。きのうは日曜日、きょうは月曜日。朝一番でごみネットを出した。みそか・大みそか、といっても、いつもの日曜日・月曜日でもある。あした元日も、年の初めの日であると同時に、いつもの火曜日だ。年賀状を書いて過ごす。

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