2018年12月6日木曜日

十一屋のチラシ

いわき市平字五町目、古書店「阿武隈書房」の店頭に、ある日、「十一屋」の一升徳利が飾られた。若いときからわが家に出入りしている店主に聞くと、いつ、どこから手に入れたかは覚えていないそうだ。そのときに入手したのかどうか、「十一屋」のチラシ=写真=も出てきた。チラシは今、私の手元にある。
「磐城平・三町目二番地」の十一屋は、江戸~大正期の磐城平の歴史を彩る旅館兼雑貨・薬種・呉服などの店だった。

 いわきで最初の民間新聞「いはき」が明治40(1907)年5月25日創刊される。平・三町目の「十一屋」の広告が載る。「煙草元売捌/洋小間物商/ 平町三丁目/小島末蔵/十一屋号」(「清」は丸で囲われている)とある。同40年代前半には、本町通りに十一屋が3軒あった。三町目に道路をはさんで2軒(本家と染物屋)、四町目に分家(染物屋のち料理店)。昭和初期の地図には、十一屋は四町目の料理店だけになる。

「末藏」の前に「忠兵衛」(=忠平)が当主のときがあったようだ。戊辰戦争で磐城平城が炎上したあと、外堀はごみ捨て場と化した。その堀も、明治30(1897)年の常磐線開通に伴う平駅(現いわき駅)開業計画によって、そばのお城山を切り崩した土砂で埋め立てられる。いわき駅前に「ラトブ」が建つとき、掘り起こされて遺物が出土した。なかに、三町目・十一屋の荷札木簡があった。「岩城平三丁」「小島忠兵衛殿 行」「東京」などの文字が記されていた

 今度出てきたチラシは和紙に木版印刷をしたものらしい。紙は縦15.4センチ、横12.8センチで、文庫本をやや横長にしたような大きさだ。上段に「十一」の屋号をはさんで「諸國品々取次卸所」、下段には「現金大安賣」をはさんで「古満(こま)もの類/阿(あ)らもの類/かん物類/紙類煙草入品々」とあって、「磐城平三町目 十一屋定兵衛」と続く(字の解読はいわき地域学會の先輩・小野一雄さんの力を借りた)。

 いつの時代のチラシだろう。三町目・染物十一屋の子孫から借りた「過去帳」から、本家の当主を追ったことがあるが、幕末前後のつながりが判然としない。しかも、没年月日からすると、「定平」が2人いるようだ。

「忠兵衛(忠平)―末藏」の前か中間にひとり。もうひとり「末藏」のあと、子孫からみると4代前、曽祖父の父親に「定平」の名が見える。もういちど「過去帳」を読み直してみるしかないか。

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