2018年12月18日火曜日

「梨花」の月

開拓農家、のちの作家吉野せいの次女梨花が死んだのは、今から88年前の昭和5(1030)年12月30日。わずか9カ月余のいのちだった。梨花が死んだとき、空には月齢10.1日の弓張月(半月)がかかっていた。
梨花はその日のうちに小さな棺におさめられ、日が変わったばかりの大みそか未明、父親の実家の菩提寺の墓に葬られた。「この山の上で生まれ育ち病み死んだお前は、(略)あまねき月光と黒い菊竹山の松風とに送られて、とぼとぼと平窪の菩提寺さして遠のいて行った」

月夜の野辺送りである。「梨花」の月光的な悲哀を理解するには、カレンダーではなく、月齢に近い12月の月を実証的に追わないと。そのうえで、みそかにまた作品を読み返してみる――と決めて、師走を待った。

今年(2018年)の師走の月で月齢が一番近いのは、きのう(12月17日)の9.8日だ。小名浜では、昼下がりの12時51分に月が出た。月の入は翌18日、きょうの0時26分だった。

きのうは午後、車で歳暮のもちを配った。午後3時前、小川の高台で東方に昇った半月をパチリとやる=写真。それから少したった時間に、梨花は息を引き取る。「あらしは過ぎてぴったりと静止したかたち、右手を私に左手を父親につかまって、お前は眠るように死んで行った。午後三時半。口を少しあけた昼間の月のような顔!」。ちょうどその時間、私は家に戻って「梨花」を読み返していた。

空には、次から次に白雲が現れては流れて行く。風も時折、吹く。そして、夕暮れ。半月は真南よりやや東にあった。88年前の同時刻ごろにも、風が強く吹いていた。「この日暮れ、お前を失ったこの山の小屋の悲しみにあふれた風景。夕月は冷たく光り、いつもの烏(からす)が群れて飛んでゆく」

カラスたちは今も夕暮れになると、東から西へと帰って行く。88年前にせいが見たカラスたちは、今のカラスたちの先祖だろう。湯ノ岳方面にねぐらがあるのだ。それはたぶん、当時も今も変わっていない。

 夜9時、月は雲に隠れていた。30分後には月明かりが復活する。かなり西に移動していた。11時前、なんと月はいちだんと輝き、冴え渡っているように感じられた。これが「あまねき月光」というやつか

「しあわせにも月が明るく、風もややしずまったが、刃物のような外気だ。道の両側のくぼみを残雪がとけずにふちどっている。お前のみちを照らすものはこんばんと書いた提灯一つだけ」

日が変わった真夜中の情景だが、11時を過ぎると睡魔が降りてきた。オリオンが真上に輝いているのを確かめて家に入り、玄関の鍵をしめた。

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