2023年10月14日土曜日

昭和61年の水害

                           
 カミサンがダンシャリを続けている。ときどき、中身が変わる。今は紙類(手紙・はがき、新聞切り抜きなど)の整理をしている。

 「こんなものが出てきたよ」。茶色く変色した昭和61(1986)年8月5日付のいわき民報を持ってきた。

 タブロイド判で、1面に「本日16ページ」のカットが載る。4枚の紙のうち、一番外側の1枚(1・2・15・16面)だけが折りたたんであった。

 1面は「台風くずれ いわきを襲う/田人で448ミリの大雨/2300世帯が床上、床下浸水」。

 2面は「濁流夏井川駆け歩き/狂気、海鳥が舞い迷う/『アッ 古橋が流された』」=写真。記事は私が書いた。

 15面は「各地で大雨被害続々(5日午前)/常磐線、磐東線不通/バスダイヤもズタズタ」。

――8月4日の台風10号接近に伴い、いわき地方は大雨に見舞われた。近くの夏井川はどんな様子か。5日早朝6時前、思い立って自宅(平・中神谷)から平市街の東端・鎌田まで、傘をさして、カメラが濡れないようにしながら堤防を歩いた。

 当時、私は内勤(整理部)の38歳。古巣の新聞の災害情報は市の対策本部の発表待ちだった。それにあきたらず、自分で見て、聞いて記事を書く――。自己責任で現場取材を試みた(今なら、そんな危険な取材はどこのメディアも上司が許さないだろう)。

「河川敷の畑は濁流の底に沈み、ネギなどの作物が根こそぎ浮いて流失しかかっている」

「間もなく、一教室分はあろうかと思われる、黒い丸太組みが流れて来た。鎌田橋か何か、木橋の橋脚のようだ」

「ウミネコが一羽、方向を見失ったようにめちゃくちゃに上空を舞っている。ふだん姿を見せない海鳥がこんな市街地にいること自体、尋常でない証拠だ」

ここまでは左岸堤防からの眺め。そのあと、下水道の水管橋を渡り、右岸の堤防を進んで国道6号に出た。「平大橋に立って、アッと息をのんだ。木橋の鎌田橋が、半分なくなっている」

 続いて平二中のある鎌田山に上がって西方を眺めた。夏井川は「まるで湖だ。県営鯨岡団地のアパートが、港に浮かんだ船のように見える」。

 いわき市の風水害記録によれば、この「8・5水害」では、いわき市合併後初めて、災害救助法が適用された。

その3年後、平成元(1989)年8月6~7日の水害では、小川町の夏井川の堤防が決壊した。

現場取材をしていた若い仲間が危うく巻き込まれそうになった。このときも同法が適用されている。

 そして、令和元(2019)年10月12~13日の台風19号は、8・5水害をはるかに上回る被害を出した。死者は関連死を含めて10人に及んだ。

その大水害から4年がたった。この間、堤防の復旧、河川敷の立木伐採、土砂撤去などが実施され、今も「国土強じん化」工事が進められている。

そのなかでまた、今年(2023年)9月8日、内郷地区を中心に、線状降水帯による水害が発生した。自然災害は年々、激甚化している。

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