2023年10月30日月曜日

夢の力

                     
 両親が夢に出てきたのだという。「お姉ちゃんと○○××さんに『ありがとう』というんだよ」。「お姉ちゃん」とはカミサン、「○○××」とは私のことだ。

 わが家の隣に住む義弟がけがをして入院した。面会時間に合わせて見舞いに行くと、カミサンに礼をいい、私にも同じように「ありがとうございます」という。「いうことをきかないときにはしかってほしい」。そんなことも口にした。

 家で転んで背中を強打した。背骨の圧迫骨折がわかったため、コルセットで固定しながらリハビリを続けることになった。

つらい痛みのなかで眠りに落ちたとき、両親が枕元にやって来たのだろう。

わかる。死んだ両親やきょうだい、連絡がとれなくなった友人や知人に、夢でもいいから会いたい、会って話をしたい――。そんな喪失感を若いとき、何度か経験したことがある。

実際、夢の中に親が、友人が現れたときには、たとえ目が覚めて幻だとわかっても、「会った事実」が残り、意外と生きるバネになった。

夢の力である。義弟は夢の中で両親と会い、生前そうだったように甘え、しかられ、励まされた。それでさっそく親の忠告通り、私らに感謝と謝罪を口にした。

義弟は週に3回、デイケア施設に通っていた。退院すれば、また通うようになる。夢を見たあとは少し余裕が出たのだろうか。施設のスタッフや利用者の話もするようになった。

たまたま施設に用があって、カミサンと出かけた。そのとき、「××○○さん(義弟のこと)は若いから」とスタッフがいった。

「若い?」。思わず苦笑しながらつぶやくと、すぐ返された。「若いですよ」。そうだった。利用者の中では、70代前半は確かに若い方なのだろう。

後日、義弟を見舞ったとき、カミサンがデイケア施設の話をした。表情をやわらげながら、うなずくようにして聞いていた。

1年以上前から、わが家の庭に居ついた「さくら猫」がいる。最初は野鳥のえさ(残飯)が目当てだったらしい。

カミサンが鳥とは別に、猫にもえさをやるようになった。私には警戒しながら距離をとる。が、猫かわいがりをする義弟にはすり寄っていく。

ときどき、庭木を利用して縁側の屋根に上る。先日は朝、義弟の家の屋根に上っていた=写真。

カミサンが逆光のなかでパチリとやったのを見て、萩原朔太郎の「猫」の詩を思い出した。

「『おわあ、こんばんは』/『おわあ、こんばんは』/『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』/『おわああ、ここの家の主人は病気です』」

何日か前、見舞に行くと、義弟が猫の様子を尋ねた。屋根の上の猫の写真を思い出して、不思議な気持ちになった。

「この家の主人は、けがで入院中です。リハビリをがんばる気持ちになっています」なんて、胸の中でひっそりと猫に代わってつぶやいてみた。

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