2023年10月2日月曜日

初めてなのに懐かしい

                     
 初めてなのに懐かしい。その建物=写真=を見た瞬間、そんな思いがわいた。建物の形と造り、そして緑の庭からの連想だった。

 阿武隈のふるさとにある白岩医院の、昭和20年代の建物は洋風だった。そこへ3、4歳のころ、左手をやけどして通院した。

 これは、前にも書いたそのときの記憶――。阿武隈高地の鎌倉岳南東のふもと、都路村(現田村市都路町)の小集落に母方の祖父母の家があった。

母に連れられて泊まりに行った晩、夕食を食べようというときに、浴衣から垂れていたひもを踏んで囲炉裏の火に左手を突っ込んで大やけどをした。

翌朝、母親におぶさって隣町のわが家へ戻り、白岩医院へ連れていかれた。それからしばらく通院した。

担当の医師はツカハラ先生。軍医だったとかで、癒着した小指と薬指を麻酔なしで切開した。痛くて泣きたかったが、親と泣かない約束をしていたので我慢した。

通院の楽しみは、注射液の入っていた小さな空き箱をもらうことだった。クレヨンの入った箱と違って、注射液の空き箱は色も形も変わっている。なにかに興味を抱いた最初の記憶がこれだったかと、今にして思う。

中学生になってギターを弾くのを覚えた。やけどをした指で弦を押さえるのに少し苦労した。アヒルの水かきのように、小指と薬指のまたが通常より1センチ以上も癒着している。それで、指がちゃんと開かない。30代のときに5ミリほど切開したが、ギターが上達することはなかった。

 建物の話に戻る。その建物は同じ田村市滝根町にある博多医院だ。ふるさとへ帰るのに、磐越東線沿いの県道をよく利用した。

県道小野四倉線から県道船引大越小野線へ。博多医院は道路から少し奥まったところにあるので、運転している私にはよくわからない。助手席のカミサンが覚えていた。

月遅れ盆に実家へ行った帰り、車を止めて建物を撮影した。後日、グーグルマップで確かめると、緑の庭が広い。

 それで思い出した。白岩医院の庭に鳥小屋、といってもニワトリではない、小鳥の園舎があった。その中を飛び交う小鳥に目を奪われた。

 こちらの医院もグーグルマップで確かめる。改築されていた。さらに、初めてホームページを開いて「沿革」に触れた。

 幕末に開院し、大正時代には院長が町長を兼ね、昭和になると2代続けて院長が交代後、町長に就いている。

 ツカハラ先生がいた理由もわかった。3代目院長の甥で、長女の夫でもあった。のちに福島医大生理学教授を務めた、とある。

 同じ院長の3男(白岩康夫)は元福島医大泌尿器科教授で、『青森県動物誌』(共著)や『ワシとタカ』(歴史春秋社)『白鳥さんたより』(同)などの著書がある。日本野鳥の会の福島県内支部連合会長も務めた。医院の庭に小鳥の園舎があったのは、この先生の発案だったか。

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