電話で舞鶴から届いた言葉。「『お福分け』を広めたい」。そこへ知人が大熊町産の乾燥キクラゲを持ってきた。お福分けだ。水で戻すとアラゲキクラゲだった=写真。
電話の主は画家の稲岡博さん。私よりは1歳下の74歳。同じ「団塊の世代」だ。
最近、大阪の人から「お福分け」という言葉を教えられた。「お福分け」を使うのは大阪の一部、福井県、福岡県の久留米などだが、近ごろは東京でも若い子が使っているのだとか。
稲岡さんがそのことを「いわきの知人」に話したら、私が「お福分け」を使っていることを聞いたらしい。
関西から遠く離れた東北の南端、いわきで「お福分け」を使っている人間がいることに、いたく興味を持ったようだ。
稲岡さんとは会ったことも、話したこともない。「いわきの知人」から、あらかじめ電話がかかってきた。了解すると、いよいよ「お福分け」について語り合いたくなったのだろう。
稲岡さんは竹を使って「お福分け」の札をつくっている。「お福分けツアー」も考えているという。
私が「おすそ分け」より「お福分け」を使うようになったのは、どうも「おすそ分け」では気持ちを表現しきれない、という思いが強くなったからだ。
「贈与の経済」というほどのことではない。が、「贈与の文化」の中で育った。特に、高度経済成長期の前、昭和30年代前半までは、それぞれの家の「余剰物」が隣近所を巡って喜ばれた。
その意味では、贈与の文化は贈与の経済の一部をなしていた。もらった野菜やキノコ、赤飯などは、微々たるものかもしれないが家計の負担を軽くした。
あらためて「おすそ分け」の意味を調べた。他人からもらった品物や利益の一部を、さらに友人・知人に分け与えることだという。
「すそ」は着物のすそのことで、地面に近い末端の部分を指す。それから転じて「つまらないもの」という意味になった。しかし、目上の人には失礼になるので「お福分け」を使う、ともあった。
辞書的な意味を踏まえていえば、日本はもう「カネで何でも手に入る社会」ではなくなった、と私は思う。「安い国」になってしまったのだ。「おすそ分け」は使えない、という気持ちの底には、そんな認識もある。
カネでモノが手に入るうちは、共助も公助も必要がない。自助だけで事足りた。地域社会がそれでギスギスしてしまうこともある。しかし、ここまで少子・高齢社会が進むと、自助だけでは社会は回らない。
「団塊の世代」以上であれば、贈与の文化を忘れてはいない。それこそが共助の原点でもあった。それに、家庭菜園を始めてみると、その労力、その自然の力が手に取るようにわかる。
繰り返すが、「おすそ分け」では自分の気持ちが表現できない。それで「お福分け」を使うようになった。もちろん、いただきものに幸せな気持ちになることも大きい。
大熊のアラゲキクラゲは炒め物になって出てきた。程よい大きさで収穫するので、やわらかかった。
1 件のコメント:
丁寧にお相手していただきありがとうございます。
お福分けの心を込めて、これからも精進しようと思いました。
益々のご活躍をお祈りいたします
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