2024年2月28日水曜日

神頼み

                      
 これは年をとらないとわからないことだったかもしれない。若いときはだいぶお年寄りを突き放してみていたようだ。

 スーパーで買い物カートを押しながら歩いているおじいさんやおばあさんがいる。「大変だな」。いささか同情しながら眺めていた。

 今はこちらもカートを押して歩くので、全く当たり前にしか思えない。それでも、まだ「すがる」まではいっていない、「押している」などと勝手に解釈して元気なふりをしている。

 買い物かごを持って、カミサンのあとについて回るのは、いささかこたえる。かごに入れる量も多い。で、カートを利用するようになってから何年がたつだろう。

 自分のブログを読むと、12年前(63歳)はまだ買い物かごを持っていたようだ。スーパーへ行ったとき、駐車場でカートを押すお年寄りを見た。荷物は手提げバッグにほんの少しあるだけ。そのバッグをカートに載せている。カートは「シルバーカー」代わりだった、とブログにある。

 そのあとすぐ体調を崩し、検査のために病院で「車いす」を体験した。それまでずっと二足歩行が当たり前と思っていた。が、体調次第で車いすやシルバーカーの世話になる、そんな領域に踏み込んだことを実感した。

経験がすべてではない。が、経験は想像力を広げるきっかけになる。年をとって、今までできたことができなくなった――。そんな経験から、弱って少し不自由な暮らしをしている人たちが、周りにはいっぱいいることを知った。

ある日、カミサンが急に足を引きずるようになった。「ひざが痛い」という。それで毎日、近所の接骨院へ通っている。

家事には大きな変化はない。が、暮らしのリズムが少し変わってきた。接骨院で前から腰をもんでもらっていたとはいえ、ひざでは、歩いては通えない。私が車で送り迎えをする。

送ってはすぐ戻り、連絡がきてはまた迎えに行く。そのときだけ、店は「配達中」の札を出して閉めておく。

晩酌を終えるころ、店に夕刊が届く。カミサンが茶の間に持って来ていたが、今はときどき私が取りに行く。

あるイベントを見たいというので、カミサンに付き添った。知り合いがいた。カミサンが、ひざが痛い話をすると、子鍬倉神社に足に効く石碑があるという。

さっそくそこへ直行した。神社はいわきの中心市街地・平の西方高台にある。南側の石段ではなく、小学校へ上っていく北側の坂道を利用して境内に車を止めた。

ここへは何年か前、冬至直後の早朝に訪れたことがある。冬至のころ、境内にある八坂神社の拝殿と参道、鳥居を結ぶ線の先から朝日が昇ってくる。それをこの目で確かめた。

 今回は、足に効く石碑がどこにあるかわからなかった。で、中心の拝殿にひざの快癒をお願いしたという。

 こちらはその間、社叢(しゃそう)のシュロを数え、石段の下から南へまっすぐ伸びる道の先に何があるか、思いをめぐらせた=写真。

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