2024年2月1日木曜日

早まる晩酌

                             
 このごろは晩酌を始める時間が早くなった。テレビで大相撲の中継があると、よけいそうなる=写真。いや、大相撲の実況放送は晩酌を早める「言い訳」にはもってこい、なのかもしれない。

東前頭筆頭に福島市出身の若元春がいる。夕方5時半前後には、その取り組みがある。

同じ福島県の郷土力士なので、テレビ桟敷(さじき)で応援したい、それもグイッとやりながら――。

 若元春は、この初場所2日目に横綱照ノ富士を破り、結果的には10勝5敗で殊勲賞を獲得した。来場所は間違いなく三役に返り咲く。

 勝てば「よしっ!」、負ければ「ああ~」。アルコールが体内を巡ると、勝負へのこだわりが強くなる。元職場の大先輩もそうだった。

 私が駆け出し記者のころ、酒好きの大先輩と同年代の上司がいた。大先輩は、記者経験はない。地元企業の広報担当で、定年退職後、「書く仕事」を続けるために、いわき民報社に再就職した。若いころは「文学青年」だった。

 その大先輩と上司が居酒屋へ繰り出すとき、よく誘われた。大先輩の家へ泊まりがけで飲みに行ったこともある。

 そんな付き合いのなかで知った習慣だ。年々、晩酌の時間が早くなっている。大相撲があると、休日は夕方の4時からテレビをつけて飲む――。

 大相撲のテレビ中継は午後4時のニュースのあとからだった。今はBSで午後1時からやっている。その時間からはさすがに見る気にはならない。

 小学生のころは、家電商の店先に飾られたテレビで初代若乃花と栃錦の勝負にかたずをのんだ。が、就職したら相撲どころではない。勝敗はニュースで知るだけになった。

 それから幾星霜……である。当時の大先輩を超える年齢になってみると、期せずして自分が同じ道を歩いていることに気づく。

 若いころは全く意識していなかった「いつか行く道」が、今は「いつか行く道に来てしまった」。震災前年のブログにこんなことを書いていた。

――早春のある日。たまたま夕方5時に私が飲み始めると、つられてカミサンがつまみと晩ご飯のおかずをつくり、茶の間に戻って来て時計を見た。

飲み始めて1時間近くたっている。「あら、まだ6時じゃないの」。横目でこちらをにらんだ。

確かに、ちょっと時間が早い。しかし、早く飲み始めれば早く終わる。「きょうは『たまたま』だよ」というと、「それが『またまた』になるの」と切り返された。

そうか。「たまたま」の逆は「またまた」か。逆も真なりではないが、痛いところをつかれて、へらへら笑ってとりつくろった。

お年寄りの楽しみの一つは、テレビ桟敷に陣取ってチビリチビリやることだ。私は「水戸黄門」(再放送)も大相撲も見ないが、というより見る時間がないが、近所にはそれを楽しみにしている人たちがいる――。

 同じ町内にも、社の大先輩と同じようなお年寄りがいた。これはもう日本のシルバー男性の「習慣」なのかもしれない。

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