2024年2月19日月曜日

田んぼのヤナギ

        
 今月初め(2月3日)に中央台公民館でいわき昔野菜フェスティバルが開かれたときのこと。

 イベントの一つ、座談会に参加した。昔野菜保存会の佐藤直美会長をコーディネーターに、フリーライターの寺尾朱織さん、大久じゅうねん保存会の佐藤三栄さんと語り合った。

そのなかで、耕作を放棄した田んぼにはヤナギが生える、という話になった。そのとき、「ああ、やっぱり」という言葉とともに、木の茂った田んぼが思い浮かんだ。

日曜日には夏井川渓谷の隠居で過ごす。わが家からは田んぼ道を利用して国道399号に出る。

市街地と隣接する水田地帯に、すっかり木に覆われた耕作放棄地がある=写真。元は水田で、夏は細長い葉が茂っていたから、ヤナギの仲間だろう。一帯にはほかに、ヨシ原と化した休耕田が飛び飛びにある。

耕作が放棄された水田は時間の経過とともにどう変わっていくのか――。東日本大震災と原発事故が起きて、いわき市内でも一時、稲作を中止したところがある。隣接する双葉郡はもろに影響を受けた。

震災直後、全村避難をした川内村を経由して、田村市の実家へ帰ったことがある。そのとき(2011年6月)に見た風景はこんな具合だった。

――上川内に入ってすぐのところにある民家は、5月5日に来たときには人がいたが、6月には雨戸が閉まっていた。人のいる、ぬくもりのある静けさではない。人のいない、ぬくもりのなくなった静けさだ。

県道沿いの田んぼの土手と畔に草が生え、ハルジオンが咲きに咲いている。田起こしをしたものの、作業はそれで打ち切りになった。

村民が避難して、山里に人間がいない現実を、田んぼの土手と畔のハルジオンが教える。
 春が来れば田を起こし、土手と畔の草を刈り、水路を修復して水を通す。やがて、そこら一帯が青田に変わる。

草を刈るのは病害虫対策と、田んぼに光を入れ、風通しをよくするためだ。庭の、畑の草むしりも理屈は同じ。それがまた、落ち着いたムラの景観を醸し出す。

夏が過ぎ、秋になれば稲穂が垂れる。刈り取られた稲は、はせぎに掛けられる。あるいは、わらぼっちとなって田んぼに立ち並ぶ。太陽と雨と風を上手に利用した人間の農の営みである。

大げさに言えば、日々、人間は自然にはたらきかけ、自然の恵みを受けながら暮らしている。自然をなだめ,畏れ敬って、折り合いをつけてきた。

その、自然への人間のはたらきかけが中断した。人間が営々と築き、守ってきた美しいムラの景観は、人の手が加わらなくなるとたちまち壊れ、荒れ始める。

それから秋になって目立ったのがセイタカアワダチソウだ。双葉郡と近隣地区は「雑草天国」になった――。

時間が経過すると、耕作放棄田の植物は雑草からヨシへ、ヨシからヤナギへと代わっていくらしい。

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