2024年2月2日金曜日

日常のありがたさ

                           
 朝起きて、夜寝るまでを「現在形」でスケッチすると――。起きる・石油ストーブに火をつける・新聞を取り込む・風呂をわかす(私は、夜ではなく朝に入る)・朝食をとる・薬を飲む。

 そのあとは、朝ドラを見る・9時ごろから翌日のブログを書き始める・座いすを倒して本を読む(最近読んだのはこれ=写真)・昼前からニュースを見る。

昼食をとる・昼寝をする・ブログの続きを書いて仕上げる。そして、宵の5時。晩酌を始めながら、次の日のブログの下書きをつくる。

定量の焼酎が尽きると、こたつの上を片付ける・テレビを消す・寝る・真夜中に起きて、ブログをアップする・また寝る。

そのほかに、こまごまとしたルーティンがある。米の配達、通院送迎。日曜日には夏井川渓谷の隠居で過ごす。月に3回(1、10、20日)は行政関係の回覧資料を配る。

だれでもそうだろうが、今日は昨日の続き、明日は今日の続き、変わったことはまず起こらない、そう思っている。

ところが、この日常が平成23(2011)年3月11日午後2時46分を境に暗転した。沿岸部は大津波で甚大な被害が出た。津波被害を免れた内陸部では、原発事故で物流が滞った。

ガソリン・灯油がない、水がない、食料がない……。当たり前に続くと思っていた日々の暮らしが寸断された。

日常は危険と隣り合わせ、たまたま危険と危険の間をすり抜けて生き延びてきただけ――そんな認識に変わった。

「ありがたい」には二つの意味がある。「有り難い」は「めったにない」、あるいは「まれなこと」で、「ありがたい」は感謝の意味になる。

ずっとあることが難しいからこそ、日常はかけがえのないものだった。日常のありがたさ、大切さを初めてかみしめた。

 今年(2014年)の元日夕方、能登半島を巨大地震が襲った。当たり前にあった暮らし=日常がズタズタに破壊された。

 水を飲むたびに、トイレへ行くたびに、歯を磨くたびに、能登の被災者の不便を思う。あるいは、ふとんにもぐっていて、足が冷えているのに気づいたとき、などにも。

 この冬は暖かいとはいえ、今が厳寒期だ。夜中に湯たんぽが欲しくなると、向こうではたぶんそれどころではないはず。だから我慢しなければ――と言いたいのではない

 まずは不便な状況に思いが至る。自分は今、当たり前のように自宅でこれらの動作を繰り返している。向こうではこれがままならない、と。

しかし、こちらの日常はほんとうに戻ったのだろうか。頭のどこかに事故を起こした原発のことが引っかかっている。

自然災害よりも、こちらの方がほんとうは怖い。始末に負えない。子の世代、孫の世代はおろか、ずっと先まで廃炉作業が続く。

能登半島にも原発がある。今度の地震ではトラブルが起きた。原発では事故はありえない、ということはありえない。それをあのときに学んだ。

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