ロサンゼルスの山火事が頭から離れない。1月7日に発生し、1週間が過ぎた今でも鎮火に至っていない。
報道によると、海沿いの高級住宅地で5千棟以上、内陸の住宅地では7千棟以上が焼失した。
海に面した巨大都市なのに山火事が多いとは……。これまでにもロスの山火事のニュースに触れるたびに、疑問には思ってきたことだ。
しかし、今回の山火事はケタ違いだ。焼失戸数はむろんのこと、火災現場が何カ所にも及んでいる。
グーグルマップでロサンゼルスを見ると、北方に山脈と大きな砂漠がある。防災専門家などの解説によれば、太平洋側に低気圧があると、砂漠から乾燥した風が吹き寄せる。さらに山を越えるとき、フェーン現象が起きる。
とりわけ地球温暖化が進んだ今は、秋から冬にかけて森林が乾燥しやすくなっている。ちょっとした刺激で発火しやくなっている、ということなのだろう。
いわき地方も冬から春にかけて、空気が乾燥した日が続く。前にも書いたが、私は乾燥注意報がどうにも気になって仕方がない。防災メールでも必ずチェックする=写真。
静電気に悩まされるからだけではない。火事が起きるとオオゴトになる――子どものときに経験したふるさとの大火事の記憶がよみがえるのだ。
拙ブログからそのときの様子を再掲する。今からちょうど70年前の昭和31(1956)年4月17日夜、東西にのびる阿武隈の一筋町があらかた燃えて灰となった。
乾燥注意報が出ているなか、町の西の方で火災が発生した。火の粉は折からの強風にあおられて屋根すれすれに飛んで来る。
そうこうしているうちに紅蓮の炎が立ち昇り(火災旋風だったのだろう)、かやぶき屋根のあちこちから火の手が上がる。町はたちまち火の海と化した。
一夜明けると、見慣れた通りは焼け野原になっていた。住家・非住家約500棟が焼失した。
少し心身が不自由だった隣家(親類)のおばさんが、近所の家に入り込んで焼死した。それがたぶん、一番ショックだった。
7歳では泣かなかった「こころ」が、46歳のとき、阪神・淡路大震災(きょうで発生から満30年だ)の被災者を思って泣いた。東日本大震災では、泣くだけでなく震えた。
「やっと家のローンを払い終わった」。大火事から30年余が過ぎていたように思う。ぽつりともらした亡母のことばが今も耳に残る。大災害からの再生にはそのくらいの時間がかかる。
20歳から5年刻みで同級会が開かれた。還暦同級会で、火の粉が吹きすさぶ中、ともに避難した幼なじみがしみじみと言っていた。
「あのとき、焼け死んでいたかも」。それぞれが荒れ狂う炎に追われ、着の身着のまま、家族バラバラになって避難したのだった――。
ロスの山火事でも同じように避難し、住まいを焼失した人がたくさんいる。その人たちの心中が察せられる。
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