2025年1月23日木曜日

ひばりとテレサ

             
   美空ひばり(1937~1989年)とテレサ・テン(1953~1995年)。この2人の歌は振付がなくてもいい。声そのもので人を酔わせる。

亡くなってから今年(2025年)でそれぞれ36年と30年がたつが、今も時折、テレビで特集番組が流れる。だいたいは見逃さない、いや聞き逃さない。

先日はNHKBSでテレサの特集番組が再放送された。日本での最後の単独公演となったNHKホールでのコンサートを再編集したものらしい。

タイトルに「名盤ドキュメント テレサ・テン生誕70年ベスト アジアの歌姫は何を歌ったのか」とあった。

テレサのことになると、おしゃべりの止まらない同級生がいる。台湾にあるテレサの墓参りもしたという。

親は蒋介石とともに中国大陸から台湾へ移住した。テレサは台湾で生まれた。日本統治時代の台湾とは無縁だが、彼女の日本語の発音には違和感がない。明瞭な美声に引かれる。

ひばりはさらにその上をいく。団塊の世代は彼女より10歳ほど若い。私が物心づいたころから、彼女はスターだった。

「港町十三番地」は小3のときにはやった。小学校に上がる前のヒット曲「悲しき口笛」や「私は街の子」「お祭りマンボ」はメロディーを覚えている。好き嫌いを超えて、ひばりの歌が体にしみこんでいる。

歌い手としてはむしろ晩年になってから、その「天性」に引かれた。長期入院を余儀なくされたあと、ひばりはいわきの塩屋埼の海をモチーフにした「みだれ髪」と「塩屋岬」で復活する。みごとな歌唱力だった。

ひばりの死をニュースで知ったとき、字余り五七五がポロリと口をついて出た。「舌頭に港町十三番地ひばり逝く」。無意識のうちに彼女のヒット曲「港町十三番地」を歌っていた。

 それからしばらくして、塩屋埼灯台のふもとに「雲雀乃苑(ひばりのその)」ができた。「みだれ髪」の歌碑と遺影碑、「永遠のひばり像」が立つ。

東日本大震災では灯台の南・豊間と北・薄磯の集落が大津波で壊滅的な被害に遭ったが、「雲雀乃苑」の一帯だけは海に突き出た岬に守られたのか、無事だった。

 この「雲雀乃苑」の一角に、新しくブロンズの「ひばり像」が立ったというので、新年の「初ドライブ」のときに訪ねた=写真。観光客の車が何台も止まっていた。

報道によると、もとは京都太秦(うずまさ)映画村にあった。像は、高さが154センチ。等身大だそうで、和服姿で胸の前で手を組んでいる。

その姿が、3・11の大津波で亡くなった人々を悼む姿に見えることから、映画村閉館後の安置先として雲雀乃苑への移設が決まったという。

体は小さく細いが、「みだれ髪」は深くて切ない。塩屋の岬に立っていると、かすかに「みだれ髪」が脳内に鳴り響いた。

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