2025年1月4日土曜日

静かな正月

                      
   令和7(2025)年の干支(えと)は「乙巳(きのとみ)。年末に知人から手のひらにのる「ヘビ」の置物をいただいた=写真。

 知人は糸ノコで板を切り抜き、干支の動物をつくる。本体と台座にはマグネットがはめられている。それで、どこに置いても安定して立つ。

令和4年から置物が届くようになった。この年の干支は「壬寅(みずのえとら)」。木目をうまく利用してトラの黒い横縞を表現していた。

以来、ウサギ、タツノオトシゴと続き、正月はテレビの上で、その後はそばの本棚の上でかわいい姿を披露している。

さて、新しい年が明けた。元日のいわき地方は晴れ。海岸には初日の出を拝む人たちが繰り出したようだが、私は茶の間から東の空を仰いで1年の無事を祈った。

朝はいつものようにこたつで雑煮を食べた。去年(2024年)までは私ら夫婦とカミサンの弟を加えた3人だったが、今年は夫婦2人だけだ。

義弟はわが家の隣に住み、朝昼晩とわが家で食事をした。朝と昼は台所のテーブルで私ら夫婦と時間をずらして、晩は茶の間のこたつで私らと一緒に。

その義弟が11月初旬に亡くなった。喪中の新年である。いつもの年末だと、玄関に正月飾りを、床の間に鏡餅を供えるのだが、今年はそれを控えた。

 この2カ月、義弟の不在を実感する日々が続いている。病院へはカミサンが付き添い、私が送り迎えをした。その送迎がなくなったことで何か一つ歯車が欠けたような感覚になっている。そして、漬物。これがなかなか減らなくなった。

 義弟は私より1歳下の団塊の世代で、私と同じように夏場は糠漬け、冬は白菜漬けを好んで食べた

 わが家では、私が漬物をつくる。11月以降はしかし、甕から漬物を出す回数がゆっくりになった。

皿に入ったハヤトウリの糠漬けしかり。師走に入って漬け始めた白菜も減るのに時間がかかる。

白菜漬けは、3人で食べていたころは1日に一切れ(8分の1株)だった。ところが、2人になった今は、一切れが2日、ないし3日は持つ。

年が明けてやっと、漬けて2度目の白菜を口にするようになった。月に2回は漬けていたのが、3週間ないし1カ月サイクルになりつつある。

私はどうしても、漬物の減り具合から義弟が亡くなったことを思ってしまう。ご飯を炊き、味噌汁とおかずをつくってきたカミサンはもっとそうだろう。

いつもだと、元旦にはあらたまってあいさつを交わす。「おめでとうございます」。これが消えた。義弟は彼岸に渡ったのだと、あらためて思う元日の朝だった。

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