昭和50年代に入ると、公害問題に替わって環境問題が取りざたされるようになった。「人間が自然に立ち入るのを制限すべきだ」と主張する研究者もいた。
阿武隈の山里で育った人間には、この論調が理解できなかった。自然は自然、人間は人間。人間は自然に立ち入るな――では、林業は成り立たない。木を伐り、炭を焼き、山菜とキノコを採ってきた山の民はどうすればいいのか。
その疑問に答えてくれたのが、同年代の哲学者内山節さんの『自然と人間の哲学』(岩波書店、1988年)だった。
自然と人間の関係を、自然と自然、自然と人間、人間と人間の3つの交通が影響し合ったものとして論じている。
阿武隈の山里で雑木林を遊び場にして育ち、就職後は森を巡ってキノコや山菜を採るようになった人間には、内山さんの自然哲学が大いに納得できた。
人間は自然を活用しながら、自然を守ってきた。自然と人間の交通が濃厚だった森から人間が遠のいたとき、森を形づくるのはもともとの自然と自然の交通だ。
森の中の樹木と野草、動物、微生物、それに雨、風、陽光など、さまざまな自然の要素が絡み合い、人間に影響されない環境を再構成する。
森の周囲はやぶに覆われ、つるが行く手を遮っていても、自然の成り行きにまかせるしかない。とはいえ、人間がもたらした気候変動の影響は受ける。
カル・フリン/木高恵子訳『人間がいなくなった後の自然』(バロウズ賞=草思社、2023年)=写真=を読みながら、内山さんの自然哲学を思い出していた。
著者は2年をかけて、キプロスの緩衝地帯(戦争)やウクライナのチョルノービリ(チェルノブイリ=原発事故)、アメリカのデトロイト(経済崩壊)など、「最悪のことが起きてしまった」世界の12カ所を旅する。
やはりチョルノービリの描写に目が留まる。事故直後、ある老夫婦が村に帰還し、オオカミがすみつくようになった。
さらに数年後、森林や放棄された農地が、オオヤマネコやイノシシ、シカ、ヘラジカ、ビーバー、ワシミミズクなどの聖域になった。
「放射線が蓄積されるのは地衣類、池の藻類、カタツムリやムール貝の殻、シラカバの樹液、菌類、草木灰、人間の歯などである」
著者は東電福島第一原発の事故にも触れる。「この事故は、一時は東京全域の住民の避難が検討されるほど深刻なもの」だった。そして、現在も帰還困難区域が設定されている、と。
旅をした結論として、著者は「自然界はすでに、必然的に、しかるべく気候変動に適応している」という。世界の野生生物は北へ、高地へ向かい、動物たちは極地へ向かっている。
さて、人間界は――となると、気候変動をもたらした自然と人間の交通(人間の側の過剰な自然収奪)をどう修正するかだが……。「掘って、掘って、掘りまくる」という人もいるので、なかなか難しい。
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