作家の童門冬二さんは本名・太田久行。都庁マンだった。美濃部都政時代、ブレーンの一人として知事を支えた。
美濃部さんが昭和54(1979)年4月、3期で退任すると同時に退職して作家業に専念した。在職中から本を何冊も出していた。
退職した年に本名で『小説都庁』を出す。ちょうどいわき市役所を担当していたときだったので、すぐ読んだ。
自分で買ったか、誰かから借りたかは記憶があいまいだが、そのころは30歳を過ぎたばかりだから、本屋に注文したのだろう。若かったのでよく飲み屋へ出かけていたが、本もそれなりに買って読んだ。
都庁も市役所も行政組織である点では変わりがない。が、都庁は巨大な組織だ、予算規模からいってもどこかの小さな国と変わらない。
そんな組織の中で個人はどう生きていくのか――といった問題意識から読み進め、役所と役人観を鍛え直したように思う。
その前だったか後だったか、今となっては定かではない。アフターファイブに酒を酌み交わし、本音をぶつけ合う若い市職員が何人かいた。その若手職員が童門さんを講師に招いて勉強会を開いた。
これもまた記憶があいまいなのだが、夜、童門さんを囲む懇親会に呼ばれて出席した。勉強会が、童門さんといわきをつなぐ端緒ではなかったか。
平成9(1997)年、いわき市が生涯学習事業として「いわきヒューマンカレッジ」を始めると、童門さんが「学長」に就任した。以来毎年、学長講演が行われた。
平成28(2016)年に開かれた市制施行50周年記念式典では、童門さんも市外在住者として特別表彰を受けた。
その童門さんが1年前の1月13日に亡くなった。本人の意向で一周忌がすむまでは公表を控えていたのだという。
1年後の1月13日午後、勿来文学歴史館で企画展「専称寺の文化財~僧侶の学問所~」を見た。帰りにはまん丸い月が出ていた=写真。十四夜の待宵月(まつよいづき)だった。
帰宅したあと、1年前の逝去を告げるニュースに触れて、そこまで自分を律していたのかと、あらためて月の夜に身の引き締まる思いがした
著作物の多さにも舌を巻いた。ウィキペディアに並ぶ本は、数えると400冊近い。タイトルをながめているうちに、昭和58(1983)年の『小説上杉鷹山』も読んでいたことを思い出した。
著作の最後の本はタイトルが変わっている。『マジメと非マジメの間(はざま)で』(ぱるす出版、2023年)。
「マジメ・非マジメ」は、個人的には「マジメ・不マジメ」よりは大事な視点だと思っている。これはいつか読んでみたい。
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