2023年2月7日火曜日

2年がかりの上映イベント

                      
   映画「SEED~生命の糧~」の上映イベントが立春の日の2月4日、いわき駅前のまちポレいわき(地下)で開かれた。いわき昔野菜保存会が主催した。

上映会は去年も企画されたが、コロナ禍のために中止になった。その意味では2年がかりのイベントだ。

午前と午後の2部制で行われた。江頭宏昌山形大学教授が講演し=写真上、映画を見たあと、在来作物(昔野菜)を栽培している保存会員などによる報告(おはなし会)が行われた。種子の交換会も開かれた=写真下。

映画は2016年、アメリカで製作された。監督はタガート・シーゲル、ジョン・ベッツの2人で、環境活動家のバンダナ・シバ(インド)らのほかに、霊長類学者のジェーン・グドール(イギリス)が登場した。

世界では、人々によって大切に受け継がれてきた在来作物の94%の種子が消滅し、種子の多様性が失われつつある。気候変動や多国籍企業の市場独占などが要因だという。映画はそうした中で在来作物の種子を継承することの大切さを訴えていた。

江頭教授は同保存会の顧問で、いわき市が震災直前の平成23(2011)年1月に開いた第1回昔野菜フェスティバル以来、イベントで講師を務めている。

今回は「在来品種継承のための課題」と題して話した。これまで江頭教授が話してきた内容を重ね合わせると、こんなことがいえるようだ。

農作物は在来品種から近代品種に切り替わった。在来品種は、「均一性」では近代品種にかなわない。近代品種は優秀性と均一性を追求してつくられた。効率重視社会の価値観が反映されている。

さらに、在来作物は生産・流通効率が悪い。後継者不足と栽培者の高齢化にも直面している。課題は新しい担い手をどう確保するか、だろう。

江頭教授は研究者として在来作物に的を絞ったきっかけを、2人の先達の言葉から紹介した。

ひとつは、青葉高元山形大学教授が本に書き残した「野菜の在来品種は生きた文化財」という言葉。もう一つはKJ法で知られる川喜多二郎東京工業大学名誉教授の三つの科学(書斎科学・実験科学・野外科学)の統合。在来品種の調査・研究には野外科学が欠かせない。

午後の部の司会を担当したので、2人の学者の名前が出たついでに、第1回昔野菜フェスティバルで聴いた「生産消費者(プロシューマ―)」について尋ねた。

 初回の講演で江頭さんは、未来学者アルビン・トフラーの『第三の波』を紹介しながら、通常の経済とは別の「非金銭経済」の出現について触れた。

「社会の冨」が金銭だけでなく金銭以外のものも含むようになった、「生産消費者(プロシューマー)」が登場してきた――。生産消費者とは、たとえばDIY、ガーデニング、家庭菜園を楽しむ人であり、ボランティアやNPOの活動もそれに含まれる。

あとで自分のブログを読むと、以上のことが書いてあった。今回もそれを再確認する場になった。在来作物の継承にはたぶん、若いプロシューマ―が必要になる。

2023年2月6日月曜日

ネギ踏み

                      
 きのう(2月5日)の日曜日は、昼過ぎに夏井川渓谷の隠居へ着いた。カーラジオは「子ども科学電話相談」から正午のニュースに移り、さらに「のど自慢」へと進んでいた。

 晴れて気温が少し上がった。ラジオはいわきの小名浜と内陸の山田町で9度を超えたことを告げた。車に表示される外気温は、平では9度だったが、渓谷では8度に下がった。

日陰はさすがにひんやりする。が、日なたは光がまぶしいくらいに躍っている。結果的に山田は午後1時、10.6度まで上がった。それがこの日の最高気温だった。

 前の週は急きょ、水道管の凍結・破損による漏水が心配で、生ごみ抜きで隠居へ行った。畑に埋める生ごみは2週間分だ。

 先週は、水道管は凍ったままだった。今週は水道管も水が出るだろう――。それをまず確かめた。台所の方は期待通りに水が出た。破損はしていない。

 洗面所は? あれっ、チョロチョロ水が出ている。洗面台の下にある観音開きの戸を開けると、中に置いたポリバケツに水がいっぱいたまっていた。

 こちらは水道の元栓を閉めないと、必ず凍結・破損する。何度も痛い目に合っている。蛇口に接続する蛇腹状の管がやられる。

それで、冬になると管工事業の同級生の忠告に従って、元栓を閉めるようにしていたのだが、どこかにゆるみがあったらしい。

 いったん元栓を開けて勢いよく水が流れるのを確かめてから、また閉めた。チョロチョロは止まったが、どうも気持ちが晴れない。

 こうなったら、春がきても、夏になっても、洗面所は使用中止でいくしかないか。前は蛇口に「故障」の紙を張った。今度は「使用中止」とでも書くことにしよう。使わないことにするのなら。

 水道を確かめたあとは畑にスコップを入れた。2週間分の生ごみがある、穴も少し大きくしないと――。そう思ったが、これが容易ではない。

 地表から1センチほどは、太陽に温められたためにスコップが入っていく。しかし、それから下がカチンカチンになっていた。それを無理やりスコップで崩し、ようやく深さ15センチほどの穴をつくった。

 スコップがはね返されたのは、この冬では初めてだ。光は春、しかし土は真冬。逆からいうと、真冬の中で春の光は強くなるわけだ(隣の錦展望台にある梅の木が開花を始めた。渓谷にも梅前線が到着した)。

そのあとはネギの苗床で「麦踏み」ならぬ「ネギ踏み」をした=写真(踏まれた感じがわかってもらえればいいのだが)。

ネギ苗にはとっくにもみ殻を敷いた。モグラ道ができて苗床が盛り上がることも、今季はまだない。とにかくネギ苗を踏みつける。

2年前(2020年)の師走。たまたまテレビで下仁田ネギの番組を見た。下仁田では「ネギ踏み」をする。霜柱で根が浮かないようにする防寒対策だった。

以来、わが三春ネギの苗床でもネギ踏みを実践している。その効果があったかどうか、この冬はわりと立派な三春ネギを収穫できた。野菜の、植物のたくましさを再認識したのだった。

2023年2月5日日曜日

池波正太郎生誕100年

                      
   今年(2023年)は関東大震災から100年の節目に当たる。いわきの大正時代を調べていると、「詩人山村暮鳥来平100年」(2012年)、「磐越東線全通100年」(2017年)といった節目の事象に事欠かない。

世界史、あるいは日本史レベルで見ても、「第1次世界大戦勃発100年」(2014年)、「ロシア革命100年」(2017年)、「米騒動100年」(2018年)と、節目の年が続く。関東大震災はなかでも未曽有の大災害だった。

令和5年が明けるとほどなく、「池正」こと作家池波正太郎が生まれて100年の年にあたることを知った。

池正は関東大震災のおよそ7カ月前、1月25日に東京・浅草で生まれた。震災で焼け出されたあと、埼玉県から下谷に移り住む。

公務員生活を経て作家活動に入り、大江戸を舞台にした『鬼平犯科帳』=写真、『剣客商売』、『仕掛人・藤枝梅安』の三大連作シリーズで不動の人気を得た。

40代のとき、この三大連作を読みふけった。なかでも、「鬼平」こと火付盗賊改役長谷川平蔵の述懐には感じ入ったものだ。

「人間(ひと)とは、妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく」。なんとも矛盾に満ちた、一筋縄ではいかない人間模様が描かれる。

三大連作はテレビでもドラマ化された。鬼平役の中村吉右衛門がつぶやく。いかにも鬼平とはこんな人間だったか、と思わせる表情と口調で。テレビの「鬼平犯科帳」も欠かさずに見た。

江戸の切絵図に興味を持ったのは、この三大連作に刺激されたことも大きい。江戸の名所、季節の食べ物、花、鳥……。いつの間にか、小説のなかで江戸の町を行き来している。

それがまた、江戸時代後期、磐城平藩・山崎村の浄土宗名越(なごえ)派本山、専称寺で修行し、福島の大円寺住職を経て、江戸に移り住み、俳諧宗匠として活躍した出羽国生まれの俳僧一具庵一具(17811853年)の足跡をたどるのに役立った。

 それだけではない、随筆もよく読んだ。『男の作法』のなかでこんなことを語っている。「冬なんかに、ちょっときょうは寒い、風邪を引きそうだなあと思ったときは、入浴をしても背中は洗わないほうがいいよ。(略)そこから風邪が侵入してくるわけ」。今もこれを実践している。

原文を思い出せないのだが、政治もまた泥沼に蓮の花を咲かせるようなものだ――といったことを随筆に書いていた。卓見というべきだろう。

父母、祖父母、親戚、そして地域の住民から愛情を注がれて子どもは育つ。その記憶が子どもの宝になる。ときには孤独を強いられる人生の支えになる。「愛された」という記憶があれば、人は決して最後の一線を踏み外さない。そんな意味のことを池波正太郎は「鬼平犯科帳」や「仕掛人藤枝梅安」で書いていた。

さて、関東大震災から100年でもある。いわきと関東大震災の話を前に何回か書いたことがある。いずれ再構成して大災害を考える素材にしようと思っている。

2023年2月4日土曜日

世代交代

                                
 私が10~20代のころ、外国文学の翻訳者は学者が中心だった。先日紹介した『現代フランス文学13人集』は、4冊13作品を7人が翻訳している。

 中村光夫、清水徹、白井浩司、平岡篤頼、菅野昭正、大久保輝臣、若林真で、中村や清水、白井、菅野などは翻訳だけでなく、新聞や雑誌にもよく寄稿していた。ウィキペディアなどを参考に、簡単に生年と肩書などを紹介する。

 中村(1911年)は文芸評論家、明治大学名誉教授、東大仏文卒。どちらかといえば、翻訳よりは評論で名が通っていた。

清水(1931年)は明治学院大学名誉教授、白井(1917年)は慶応大学名誉教授、平岡(1929年)は早稲田大学名誉教授、菅野(1930年)は東京大学名誉教授、大久保(1928年)は学習院大学教授(在職中に死去)、若林(1929年)は慶応大学名誉教授。いずれもフランス文学者として知られた存在だった。

この7人には入っていないが、篠田浩一郎(1928~2022年)も、清水や平岡、菅野らとは同世代のフランス文学者だ。

篠田訳のポール・ニザン『アデン・アラビア』はわが青春の書だった。「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ」。この書き出しに引かれた。

篠田も東京外国語大学名誉教授と、アカデミズムの世界で生きてきた。去年(2022年)のクリスマスの日、94歳で亡くなった。

訃報に接したあと、思い立っていわき駅前の図書館へ出かけた。フランス文学のコーナーに篠田訳の本があれば借りよう――。そう決めて、書棚の背表紙を眺めたのだが。

ああ、そうか、という思いを強くした。中村訳の「異邦人」(アルベール・カミュ)や清水訳の「エジプト――土地の精霊」(ミシェル・ビュトール)、菅野訳の「トロピスム」(ナタリー・サロート)などに熱中したのは、もう半世紀以上も前のことだ。

翻訳者は全く知らない人間に変わっていた。なかで1冊、背表紙に「中島万紀子訳」とあって、記憶の底の方でプクッと泡がはじけるような感覚になった。レーモン・クノーの小説『サリー・マーラ全集』だった=写真。

カミサンの幼なじみに同姓の女性がいる。前に娘さんが『ローリング・ストーンズ ある伝記』を共訳したと聞いたことがある。

そこから別のエピソードが浮かび上がってきた。翻訳だけでなく、シャンソンも歌う。いわきでなにかの集まりに出たことがある。図星だった。彼女の娘だという。

本の帯から、この小説のキテレツぶりがわかる。「アイルランド生まれの少女サリー・マーラ(クノー?)が書いた、世にも奇妙な全集」で、「性の探求『サリー・マーラの日記』」、「郵便局に立てこもるアイルランドの闘士達を描いた小説『皆いつも女に甘すぎる』」、「謎のヘンテコ性愛散文集『もっと内密なサリー』」の3編から成っている。

この本を借りて読んだが、たぶん原作はダジャレや語呂合わせ、隠語などで満たされているのだろう。それを日本語に置き換える苦労と、下ネタにも耐えるタフな精神を思った。

2023年2月3日金曜日

追加賠償

                      
 福島県から送金通知書が届いた。封を切ると、自動車税の「過誤納金還付(充当)通知書」とあった=写真。

 暮れに車を買い替えた。すでに納めた自動車税のうち、抹消登録後の過納分を返す、というものだった。1万円未満とはいえ、カネが戻ってくるのはいいことだ。

 その前の日、銀行からカネを下ろしてきたカミサンが、笑うしかないといった表情で通帳の残高を見せた。

 年金が振り込まれるまで、まだ半月もあるというのに、預金の残高が退職後、最低を記録した。

 1月は年が明けて最初の月だから、出費が多くなる。それだけではない。ロシアのウクライナ侵略に端を発した世界的な経済変動を受けて、日本はこのところずっと記録的な円安、物価高に見舞われている。それが庶民の生活を直撃した。

 入るカネは決まっているのに、出るカネがふくらんだ。そのうえ、この冬はたびたび灯油を買いに行く。銀行へ生活費を下ろしに行く回数が増えて、残高が急降下した。

 わが家の店と茶の間だけでなく、隣家の義弟の部屋のほかにもう1カ所、暖房を必要とする家がある。

18リットル入りで3缶、4缶、多いときには5缶と、短期間に何度もガソリンスタンドへ通った。新しい車はまだ遠出を控えているので、給油は月1回(前はだいたい20日に1回)ですんでいる。スタンドへは灯油を買いに行くようなものだ。

「どっからかカネを持ってきてよ」と言われても、知恵は浮かばない。定期預金がある。別の銀行にも少しはある。が、それを取り崩すことははばかられる。

そんなことを思いめぐらしているところへ、原発事故の「追加賠償5000億円規模に」というニュースが飛び込んできた。

最初は相双地区の避難者のことだろうと思っていたが、フェイスブックに、知人が10年前、賠償金を使って旅行した話をアップしていた。

さらに、いわき市長がコメントを寄せ、いわき市民も対象になることを知った。そこで初めて、じっくり新聞記事を読んだ。

「県北や県中地方といわき、相馬の両市、新地町の23市町村が対象の自主避難等対象区域の住民(子ども・妊婦を除く)の賠償額は20万円だが、既に12万円の支払いを受けた人は今回、差し引き8万円が支払われる」

カミサンに言って、古い通帳を出してもらう。平成25(2013)年2月20日付で東電から12万円が振り込まれていた。

ブログで触れていないか、チェックしたが、なかった。この時期、体調は最悪だった。冬から梅雨時まで、半年ほどはブログを飛び飛びにしか書けなかった。賠償金に関する文章がないのはそのためだったか。

文科省の原子力損害賠償紛争審査会は、避難者らの集団訴訟判決で指針を上回る賠償命令が相次いだため、暮れに指針を改定した。それに基づく追加賠償だという。

波状的に値上げラッシュが続いている。ガス代も、電気代も上がる。そんな状況下だけに、このニュースにはなんとも複雑な思いでいる。

2023年2月2日木曜日

庭にメジロが

                      
   いわき地方では、北から仁井田川、夏井川、鮫川の下流域がネギの産地として知られる。ネギはいわきを代表する農産物のひとつでもある。 

昭和26(1951)年に平市役所神谷支所が発行した神谷市郎著『神谷郷土史』には、ネギ・ニンジンが神谷の特産物とある。ネギは大正末期から広く栽培されるようになった。

いわき市の中心市街地・平と東方の旧神谷村は夏井川をはさんで隣接する。平の近郊農村、そしてベッドタウンだ。

上流から運ばれて来た砂が堆積し、水はけがよいので、砂漠生まれのネギの栽培には適している。

夏井川沿いのネギ畑がそんな土地柄を今に伝える。街からわが家へと堤防を利用しながら、ネギ畑をウオッチングする。それによれば、6月下旬~7月上旬にネギ苗を定植し、12月下旬~2月上旬に収穫する。

必ずチェックする畑がある。堤防を通って気づいた日でいうと、この冬は12月20日過ぎに収穫が始まり、1月20日あたりで収穫が終わった。

夏井川渓谷の隠居の庭に畑をつくり、三春ネギを栽培している。そばに辛み大根がある。こちらは不耕起のまま、こぼれ種から発芽したのを育てている。追肥以外はほとんど手をかけない。

三春ネギは(辛み大根もだが)、種採り用を除いて収穫を終えた。平地のネギ畑と栽培~収穫の流れは変わらない。

若いころは「少量多品種」に挑み、白菜や大根などを栽培した。冬には「葉っぱのダンス」に自然の不思議を感じた。

菜園に霜が降りると、ふだんは宙に浮いている大根の葉が地面にひれ伏す。畑に日が差し込むと、霜が解けて大根の葉がピクン、ピクンと立ち上がる。うねのあちこちでピクン、ピクンが続く。この葉っぱのダンスを見るのが冬の楽しみだった。

白菜は、結球を始めたところで鉢巻きをする。たまたま鉢巻をしなかった白菜が1月後半に入ると、先端からヒヨドリに食いちぎられて大きな穴ができる。

平地の大根畑や白菜畑でも、葉っぱのダンスやヒヨドリとの攻防戦が繰り広げられていることだろう。ヒヨドリにとどまらない。野鳥たちにとっては、今が一番厳しい時期なのかもしれない。

カミサンが庭に野鳥のえさ台(壊れたパイプイスを利用)を設けた。ときどき、残飯を置く。1月30日の昼前、スズメたちが数羽、現れた。スズメとちょっと距離を置いて、近くのナンテンの枝に止まってチョコマカと動いている小鳥がいた。メジロだった=写真(撮影は2020年12月17日)。

メジロは、基本的には雑食だというが、花から蜜を吸うイメージが強い。冬に咲くヤブツバキはない。ナンテンの実は、たぶんあらかたヒヨドリにやられた。赤い実はと見れば、3粒しか残っていなかった。メジロもこれでは空振りだっただろう。

間もなく立春。「寒さの冬」のなかでも「光の春」を感じられるようになった。群馬県の下仁田では真冬、「麦踏み」ならぬ「ネギ踏み」をする。

隠居の庭のネギ苗もおととし(2021年)初めて、霜柱で根が浮かないようにネギ踏みをした。今年も近くネギ踏みをする。

2023年2月1日水曜日

知り、守り、つなぐには

                     
 いわき地域学會の第373回市民講座が先日、いわき市文化センターで開かれた。大平好一高久公民館長が「文化財を活(い)かした地域づくりのために」と題して話した=写真。

サブタイトルは「味わい・つなぎ・伝える高久の文化財資源化プロジェクト」で、令和3年度に下高久区が同事業名で「訪ねてみたい高久の宝~高久地区文化財等マップ~」を作成した。

さらに、その延長で同区が事業主体になって『まほろばの里 高久の歩き方』を刊行した。前に拙ブログで本書を取り上げた。その一部を紹介する。

――高久地区には古墳時代の重要な遺跡がある。有名なのが神谷作(かみやさく)101号墳で、「埴輪男子胡座像(附)埴輪女子像」(国指定重要文化財)が出土した。「八幡(やあど)横穴群出土品」(県指定重要文化財)のなかでは、忍冬(にんどう)唐草文を透かし彫りにした金銅製幡(ばん)金具などが知られる。

いわきの古代文化が息づく地、「まほろばの里」の歴史や文化を、地元の人間が企画・調査・執筆したところに本書の特色があるという。

区民から提供された古い写真を集めた「第1章 高久写真館」では、「酒造・醸造」に目が留まった。「三ツ星」「小錦」「稲政宗」「東海」「清盛」「谷盛」といった地酒の貧乏徳利が並ぶ。

「第5章 高久の歴史」でも、明治44(1911)年の『石城郡案内』を引用して、高久村で醸造業が盛んだったことを伝えている。

米をつくるには水が要る。口絵の「水田用水概略図」には、主に愛谷江筋滑津川溜池――を用水源とする水田が色分けされている。

それと関係するのが、「第3章 道ばたの文化財」のなかで紹介されている「袴田堰円形配水施設」だ。滑津川から揚水し、暗渠(あんきょ)でつながった円形の配水施設で分水する。県道下高久谷川瀬線沿いの「馬場鶴ケ井バス停」そばにある。

下高久はカミサンの父親のふるさと。何年か前、義父の生家の跡取り(カミサンのいとこ)が亡くなった。葬式に出ると、先祖が酒造業だったという親戚がいた。「水がよかったのか」。酒造りが盛んだった理由を別の親戚に聞くと、「米が余ったからだ」。考えてみればごく当然の答えが返ってきた――。

大平館長はマップと冊子の成果を基に高久地区を紹介した。そのなかで、神谷作の「テーマイ・コイコイ」(火ぼえ投げ)には驚いた。冊子でも取り上げていたが、全く素通りしていた。

「知られていない月後れ盆の風習」だという。『高久の歩き方』には、地元・横手山の山頂から、子どもたちが「テーマイ・コイコイ、○○○(自分の名前)でござっとー」と言いながら、束ねた麦わらに火をつけたものを投げる、とある。崖下では防火のためにポンプ車が待機している。

少子高齢化、東日本大震災を経験して、今は5日間が1日だけに、女子児童も参加するようになったという。

滑津川をさかのぼる動画も見た。ところどころ堤防からあふれて田んぼに流入する様子、橋を行き来する自動車が水しぶきをあげている様子にかたずをのんだ。防災面からも、地域の特性、文化を記録して残す意義を学んだ。