いわき地域学會の第373回市民講座が先日、いわき市文化センターで開かれた。大平好一高久公民館長が「文化財を活(い)かした地域づくりのために」と題して話した=写真。
サブタイトルは「味わい・つなぎ・伝える高久の文化財資源化プロジェクト」で、令和3年度に下高久区が同事業名で「訪ねてみたい高久の宝~高久地区文化財等マップ~」を作成した。
さらに、その延長で同区が事業主体になって『まほろばの里 高久の歩き方』を刊行した。前に拙ブログで本書を取り上げた。その一部を紹介する。
――高久地区には古墳時代の重要な遺跡がある。有名なのが神谷作(かみやさく)101号墳で、「埴輪男子胡座像(附)埴輪女子像」(国指定重要文化財)が出土した。「八幡(やあど)横穴群出土品」(県指定重要文化財)のなかでは、忍冬(にんどう)唐草文を透かし彫りにした金銅製幡(ばん)金具などが知られる。
いわきの古代文化が息づく地、「まほろばの里」の歴史や文化を、地元の人間が企画・調査・執筆したところに本書の特色があるという。
区民から提供された古い写真を集めた「第1章 高久写真館」では、「酒造・醸造」に目が留まった。「三ツ星」「小錦」「稲政宗」「東海」「清盛」「谷盛」といった地酒の貧乏徳利が並ぶ。
「第5章 高久の歴史」でも、明治44(1911)年の『石城郡案内』を引用して、高久村で醸造業が盛んだったことを伝えている。
米をつくるには水が要る。口絵の「水田用水概略図」には、主に①愛谷江筋②滑津川③溜池――を用水源とする水田が色分けされている。
それと関係するのが、「第3章 道ばたの文化財」のなかで紹介されている「袴田堰円形配水施設」だ。滑津川から揚水し、暗渠(あんきょ)でつながった円形の配水施設で分水する。県道下高久谷川瀬線沿いの「馬場鶴ケ井バス停」そばにある。
下高久はカミサンの父親のふるさと。何年か前、義父の生家の跡取り(カミサンのいとこ)が亡くなった。葬式に出ると、先祖が酒造業だったという親戚がいた。「水がよかったのか」。酒造りが盛んだった理由を別の親戚に聞くと、「米が余ったからだ」。考えてみればごく当然の答えが返ってきた――。
大平館長はマップと冊子の成果を基に高久地区を紹介した。そのなかで、神谷作の「テーマイ・コイコイ」(火ぼえ投げ)には驚いた。冊子でも取り上げていたが、全く素通りしていた。
「知られていない月後れ盆の風習」だという。『高久の歩き方』には、地元・横手山の山頂から、子どもたちが「テーマイ・コイコイ、○○○(自分の名前)でござっとー」と言いながら、束ねた麦わらに火をつけたものを投げる、とある。崖下では防火のためにポンプ車が待機している。
少子高齢化、東日本大震災を経験して、今は5日間が1日だけに、女子児童も参加するようになったという。
滑津川をさかのぼる動画も見た。ところどころ堤防からあふれて田んぼに流入する様子、橋を行き来する自動車が水しぶきをあげている様子にかたずをのんだ。防災面からも、地域の特性、文化を記録して残す意義を学んだ。
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