私が10~20代のころ、外国文学の翻訳者は学者が中心だった。先日紹介した『現代フランス文学13人集』は、4冊13作品を7人が翻訳している。
中村光夫、清水徹、白井浩司、平岡篤頼、菅野昭正、大久保輝臣、若林真で、中村や清水、白井、菅野などは翻訳だけでなく、新聞や雑誌にもよく寄稿していた。ウィキペディアなどを参考に、簡単に生年と肩書などを紹介する。
中村(1911年)は文芸評論家、明治大学名誉教授、東大仏文卒。どちらかといえば、翻訳よりは評論で名が通っていた。
清水(1931年)は明治学院大学名誉教授、白井(1917年)は慶応大学名誉教授、平岡(1929年)は早稲田大学名誉教授、菅野(1930年)は東京大学名誉教授、大久保(1928年)は学習院大学教授(在職中に死去)、若林(1929年)は慶応大学名誉教授。いずれもフランス文学者として知られた存在だった。
この7人には入っていないが、篠田浩一郎(1928~2022年)も、清水や平岡、菅野らとは同世代のフランス文学者だ。
篠田訳のポール・ニザン『アデン・アラビア』はわが青春の書だった。「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ」。この書き出しに引かれた。
篠田も東京外国語大学名誉教授と、アカデミズムの世界で生きてきた。去年(2022年)のクリスマスの日、94歳で亡くなった。
訃報に接したあと、思い立っていわき駅前の図書館へ出かけた。フランス文学のコーナーに篠田訳の本があれば借りよう――。そう決めて、書棚の背表紙を眺めたのだが。
ああ、そうか、という思いを強くした。中村訳の「異邦人」(アルベール・カミュ)や清水訳の「エジプト――土地の精霊」(ミシェル・ビュトール)、菅野訳の「トロピスム」(ナタリー・サロート)などに熱中したのは、もう半世紀以上も前のことだ。
翻訳者は全く知らない人間に変わっていた。なかで1冊、背表紙に「中島万紀子訳」とあって、記憶の底の方でプクッと泡がはじけるような感覚になった。レーモン・クノーの小説『サリー・マーラ全集』だった=写真。
カミサンの幼なじみに同姓の女性がいる。前に娘さんが『ローリング・ストーンズ
ある伝記』を共訳したと聞いたことがある。
そこから別のエピソードが浮かび上がってきた。翻訳だけでなく、シャンソンも歌う。いわきでなにかの集まりに出たことがある。図星だった。彼女の娘だという。
本の帯から、この小説のキテレツぶりがわかる。「アイルランド生まれの少女サリー・マーラ(クノー?)が書いた、世にも奇妙な全集」で、「性の探求『サリー・マーラの日記』」、「郵便局に立てこもるアイルランドの闘士達を描いた小説『皆いつも女に甘すぎる』」、「謎のヘンテコ性愛散文集『もっと内密なサリー』」の3編から成っている。
この本を借りて読んだが、たぶん原作はダジャレや語呂合わせ、隠語などで満たされているのだろう。それを日本語に置き換える苦労と、下ネタにも耐えるタフな精神を思った。
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