今年(2023年)は関東大震災から100年の節目に当たる。いわきの大正時代を調べていると、「詩人山村暮鳥来平100年」(2012年)、「磐越東線全通100年」(2017年)といった節目の事象に事欠かない。
世界史、あるいは日本史レベルで見ても、「第1次世界大戦勃発100年」(2014年)、「ロシア革命100年」(2017年)、「米騒動100年」(2018年)と、節目の年が続く。関東大震災はなかでも未曽有の大災害だった。
令和5年が明けるとほどなく、「池正」こと作家池波正太郎が生まれて100年の年にあたることを知った。
池正は関東大震災のおよそ7カ月前、1月25日に東京・浅草で生まれた。震災で焼け出されたあと、埼玉県から下谷に移り住む。
公務員生活を経て作家活動に入り、大江戸を舞台にした『鬼平犯科帳』=写真、『剣客商売』、『仕掛人・藤枝梅安』の三大連作シリーズで不動の人気を得た。
40代のとき、この三大連作を読みふけった。なかでも、「鬼平」こと火付盗賊改役長谷川平蔵の述懐には感じ入ったものだ。
「人間(ひと)とは、妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく」。なんとも矛盾に満ちた、一筋縄ではいかない人間模様が描かれる。
三大連作はテレビでもドラマ化された。鬼平役の中村吉右衛門がつぶやく。いかにも鬼平とはこんな人間だったか、と思わせる表情と口調で。テレビの「鬼平犯科帳」も欠かさずに見た。
江戸の切絵図に興味を持ったのは、この三大連作に刺激されたことも大きい。江戸の名所、季節の食べ物、花、鳥……。いつの間にか、小説のなかで江戸の町を行き来している。
それがまた、江戸時代後期、磐城平藩・山崎村の浄土宗名越(なごえ)派本山、専称寺で修行し、福島の大円寺住職を経て、江戸に移り住み、俳諧宗匠として活躍した出羽国生まれの俳僧一具庵一具(1781~1853年)の足跡をたどるのに役立った。
それだけではない、随筆もよく読んだ。『男の作法』のなかでこんなことを語っている。「冬なんかに、ちょっときょうは寒い、風邪を引きそうだなあと思ったときは、入浴をしても背中は洗わないほうがいいよ。(略)そこから風邪が侵入してくるわけ」。今もこれを実践している。
原文を思い出せないのだが、政治もまた泥沼に蓮の花を咲かせるようなものだ――といったことを随筆に書いていた。卓見というべきだろう。
父母、祖父母、親戚、そして地域の住民から愛情を注がれて子どもは育つ。その記憶が子どもの宝になる。ときには孤独を強いられる人生の支えになる。「愛された」という記憶があれば、人は決して最後の一線を踏み外さない。そんな意味のことを池波正太郎は「鬼平犯科帳」や「仕掛人藤枝梅安」で書いていた。
さて、関東大震災から100年でもある。いわきと関東大震災の話を前に何回か書いたことがある。いずれ再構成して大災害を考える素材にしようと思っている。
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