2023年6月7日水曜日

ラウンドアバウト

                      
 いわき駅前のラトブへ行くのに、旧イトーヨーカドー平店前の道路を利用する、といいたいところだが、今は工事のために通行止めになっている。

 同店跡地西側角は、そばの常磐線をくぐってくる細道(一方通行)を加えた変則十字路だ。もちろん、信号機があった。

 ヨーカドー跡地には来年(2024年)、複合商業施設が開業する。変則十字路はそれに先立ち、ラウンドアバウト(環状交差点)に替わる。かつてヨーカドー北側にあった道路が線路側に移って新しい商業施設を周回するようになる。

 ラウンドアバウトは6月17日に全面開通する。1日から一部、暫定的に利用ができるようになったとかで、SNSにコメントが載っていた。

 常磐線のガード下からやって来た車がラウンドアバウトのルールに不慣れのため、すぐ右折した、というものだった。これだと出合い頭に衝突する危険がある。

 信号機があったときは、それでよかった。しかし、信号機のないラウンドアバウトでは交差点の中央に円形の「島」ができて、車はその島を時計回りに進まないといけない。

 つまり、常磐線をくぐってきた車は、いわき駅方面へ向かうのに、いったん島を左から回って駅方面へ向かうことになる。

駅方面からは、やはり島を回るように常磐線側の道路と接続するから、線路をくぐって現れた車が右折したら、たちまち衝突する事態になる。

月曜日(6月5日)、駅前の総合図書館へ行くのに、このラウンドアバウトを利用した。駅前に通じる道路を左折するとき、常磐線をくぐってきた車が禁止されている方向へ、つまり右折のサインを出しながら現れた。やはり、以前の感覚のままなのだろう。誘導員がそれを止めて「時計回り」の説明をしていたようだ。

帰りにまたこの交差点を利用した=写真。路面には大きく「ゆずれ」とあった。そのときはさいわい、常磐線側から交差点に入ってくる車はなかった。

「ゆずれ」はラウンドアバウト内に進入する際、すでにそちらを走っている車が優先ですよ、というサインだろう。

そういえば、と幼いときの記憶がよみがえる。平駅(現・いわき駅)前の大通りを南進すると、現在の国道399号(旧国道6号)と交差するところに「ロータリー交差点」があった。

祖母に連れられて、阿武隈の山里から磐越東線を利用して平駅に着いたあと、小名浜の叔父宅へ行くのに駅前からバスを利用した。

ロータリー交差点ではやはり時計回りに「島」を回って、内郷方面へと向かった。島にはキューピットの噴水があった。

ロータリー交差点とラウンドアバウトの違いを、いわき市のフェイスブック「いわきの『今むがし』」が解説している。

それによると、ロータリー交差点では島を回っていても、前方左から進入する車があれば一時停止をしてそちらを優先させないといけない。ラウンドアバウトは島を回る車が優先される。

街へ来るときはともかく、帰りはラウンドアバウトを避ける。時計回りのルールが浸透するまでは、それが一番の自衛策のようだ。

2023年6月6日火曜日

とにかく晴れてよかった

                      
   6月4日の日曜日が、年度末から年度初めの3カ月をしめくくる日になった。二つの行事が無事終わり、ようやく区内会の仕事もふだんの流れに戻った。

長い下準備と打ち合わせ。時間そのものは短くても、細かな積み重ねや調整が次々に押し寄せる。さらには区費その他、年度初めのための集金が相次ぐ。

そうしたなかで、この日、春のいわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動(一斉清掃)と、地区の球技大会=写真=が開かれた。雨が降れば、どちらも1週間延期される。とにかく晴れてよかった。

最近は週末に天気が崩れるパターンが“定着”した。まさか降らないだろうな――。このところ毎日、ネットで「1週間天気」をチェックし続けた。

雲と雨のマークが、やがて晴れのマークに変わる。台湾方面へ向かっていた台風2号が北東に転じて沖縄から本州の南岸沖を通過した。梅雨前線が刺激されて、いわき地方も6月2~3日は雨になったが、かえってこれが日曜日の好天につながったのかもしれない。

すでに東海地方まで梅雨に入った。5月はカラッと晴れていい天気が続く――という記憶は、もう過去のものなのだろうか。

一方で、この3年間は新型コロナウイルス感染症がまん延し、球技大会や市民総ぐるみ運動のような、人の集まる行事が相次いで中止された。

ワクチン開発と接種が進んで、ようやく「ウィズコロナ」が見えてきた。新年度からは4年ぶりの行事復活が続いている。

前にもちょっと書いたが、この3年で地域の「風景」が変わってしまったように感じられる。少子・高齢化がいちだんと進んだ、という印象が強い。

球技大会は行政区対抗戦で、ソフトボール(男性)とバレーボール(女性)で地区の優勝を目指す。

しかし、子どもが少ないから試合に参加できる親も少ない。結局、わが行政区では、人が集まらずにソフトボールは棄権し、バレーボールはぎりぎりのメンバーでやっと参加にこぎつけた。ほかの行政区でも棄権を余儀なくされたところがある。

すでに球技大会や体育祭をやめた地区の人々は、一様に「まだやっているんだ」と驚きの声をあげる。

その点では、これまでよく開催してきたものだという思いが強い。しかし、コロナ禍で中断したこの3年を機に、行政区内での人集めは限界にきたことがはっきりした。

私を含めて、かつて球技大会に参加した人たちはあらかた古希を過ぎた。それに代わる若い世代が地域には少ない。

たぶん状況は年々厳しくなる一方だ。一気に行事の中止といく前に、近隣区で合同チームをつくって参加する、といったことも考えないといけない。

体育祭も、行政区対抗のリレーなどはメンバー構成が難しいから、種目からはずすなどの工夫が必要ではないか――。そんなことを議論する段階に入ったようだ。

2023年6月5日月曜日

『黎明期の群像』


   『ふくしま近代医学150年 黎明期の群像』=写真=が福島民友新聞社から発行された。まずは福島医大医学部同窓会長・重富秀一さんの「巻頭言」冒頭部分を紹介する。

明治4(1871)年、「戊辰戦争の終結から間もない時期に白河医術講議(ママ)所が設立され、系統的な西洋医学教育が始まった。福島県立医科大学の始まりである」

 同講議所開設から150年の節目の年に当たる令和3(2021)年7月5日~翌年5月6日、福島民友新聞に福島県の近代医学教育を振り返る「黎明期の群像」が連載された。

 医大の同窓会と民友新聞の共同企画で、主に県内自治体の文化振興課、歴史資料館などに所属する職員や学芸員、研究者が執筆した。

 いわき関係では唯一、渡辺町出身の「『台湾医学衛生の父』高木友枝」が載る。市の文化振興課(当時)に問い合わせがあり、たまたま台湾旅行に合わせてブログで高木を取り上げたことのある私に執筆の依頼がきた。

 共同企画がありがたかったのは、写真や資料の不足分を新聞社側が補完してくれたことだ。執筆者が原稿だけでなく、写真も資料も用意してほしいとなれば、たぶん断っていた。そのへんの経緯を拙ブログから要約して振り返る。

――連載のなかで、いわき市渡辺町出身の医学者高木友枝(1858~1943年)を紹介することになった。

私は、医大とは関係がない。医療・医学史の研究者でもない。ブログで台湾旅行記を書き、そのなかで日本統治時代、医学・衛生面で貢献した高木を取り上げた。ただそれだけの縁で原稿依頼があり、軽い気持ちで引き受けた。

台湾へは同級生と行った。「台湾高鐵」(新幹線)に乗るのが目的だった。1回目は台北に着くと台風が襲来して断念した。2年後、再訪した。高鐵を利用して中部の日月潭や南部の高雄を訪ねた。

台湾へ行く以上はいろいろと調べものをした。そのなかで「台湾医学衛生の父」高木がいわき出身であることを知った。高木は電力会社の社長も務めた。

新聞連載が始まるとびっくりした。広告の上、1ページを丸々使っている。同窓会側の担当者と連絡を取りながら、字数や掲載写真などを詰めた。さらには、渡辺町の生家周辺を訪ねて取材をした。そうでないと1ページは埋められない。

令和3年10月中には原稿を仕上げ、写真も送った。掲載されたのはざっと3カ月後の同4年2月7日だった――。

共同企画がムック本になって届いた。高木を台湾に呼んだのは、昵懇にしていた民政長官後藤新平で、後藤もまた白河講議所が移転してできた須賀川医学校出身と、福島県とは縁が深い。

後藤のほかに、福祉事業の瓜生岩、看護師教育に尽力した大山捨松や山本(新島)八重なども取り上げている。福島県は「医学史の宝庫」、それを裏付ける一冊ではある。

2023年6月4日日曜日

歩行者天国

                     
   いわき駅前の平銀座通りで日曜日(5月28日)、歩行者天国が開かれた。午前中夏井川渓谷の隠居で土いじりをしたあと、ホコテンをのぞいて昼食をとることにした。

駅前再開発ビル「ラトブ」に車を止めるため、駅前の並木通り(国道399号)に出た。銀座通りへはむろん、進入できない。駅前の大通りはラトブ側への右折が禁止されている。

大通りから一つ東側にある白銀の飲み屋街を抜けて、時計回りに大通りを横断してラトブの地下駐車場に入った。さすがに込んでいた。

ホコテンといってもラトブ駐車場からの出入りに支障がないように、ということなのだろう。実際、ホコテンの範囲はラトブ西側出入り口周辺から南の角までだった。

昭和40年代後半の歩行者天国を知っている人間には、規模は半分くらいに映った。いわき市のフェイスブック「いわきの『今むがし』」によれば、最初(昭和45年)は銀座通り商店街と本町通り商店街が協力して歩行者天国を実施した。東北地方では初のホコテンだった。

その後、昭和46(1971)、47年と銀座通りで独自に、1年を通して日・祝日にホコテンが開かれた。49年7月からは通りの延長150メートルに深紅のじゅうたんを敷き詰めて開催したという。

私は46年4月、いわき民報社に入社した。5月に仮社屋から元の並木通りの新社屋に引っ越した。以来、昼食をとるために近くの銀座通りや平和通りまで足を運んだ。ホコテンをぶらついたことももちろんある。

駅前を中心にした商店街はどこでも、車社会の進展に伴い、広い駐車場を持つ郊外の大型店に客を奪われるようになる。そこでいわき市でも、本町通りの西部と駅前の2カ所で再開発事業が展開された。さらに今、駅前西側の並木通りで再開発事業が進められている。

いわきの中心商店街に再びにぎわいを――。いわき駅前に再開発ビル「ラトブ」がオープンしたのは、平成19(2007)年10月25日。4~5階は市の総合図書館、1~3階は商業エリアだ。図書館へやって来た市民が、帰りに商業エリアで買い物をする“シャワー効果”をねらった配置になっている。

今回のホコテンも、それと連動したものだろう。ネットでホコテンの内容を確認すると、ステージイベント(歌やダンスなど)、飲食ブース(キッチンカーも登場)、物販ブースがあって、ラトブが平銀座商店会と共催した。事務局はラトブ内にある。

ホコテンをのぞいたついでに友人の店を訪ね(思わぬ買い物をしてしまった)、近くで昼食をとるつもりでラトブ内の「いわき横丁」を取り抜けようとしたら、エスカレーターの前に弁当が並んでいた。

結局、ここでサンドイッチなどを買い、家へ持ち帰って遅い昼食をとった。これも、シャワーならぬホコテンの“さざ波効果”だろう。

2023年6月3日土曜日

丸ごとゆでる

        
 メキシコ生活を経験している後輩の家を訪ねたら、先客がいた。前に、後輩と一緒に夏井川渓谷の隠居へ来たことがある。確か、いわき在住の中南米の女性だ。カミサンが隠居へ来たときの話をすると、思い出してニコッとした。

 後輩の家では、母家をはさんで南北に畑がのびる。南の畑の西側、庭木が繁るあたりに2人がいた。

 庭木の下に、今までなかった二ホンミツバチの巣箱がある。彼がフェイスブックにアップしたところによると、4月中旬、巣箱をつくって、分封した野生のハチの集団をそこに移した。それが功を奏したらしい。

 いやあ、養蜂も始めたのか――。彼のDIY精神と、次々に新しいことに挑戦する好奇心とエネルギーに舌を巻いた。

一方で、カミサンが、女性が手にしているものを見て声を出した。「アーティチョーク」。畑の一角にそれが植わってある。蕾が大きく膨らんできた。

最初にアーティチョークの現物を見たのは震災前。苗を2株もらったので、夏井川渓谷の隠居の畑に植えた。そのときは食べずに、花を楽しむだけにした。

――アーティチョークはつぼみを食べる。そのつぼみが膨らみ始めたので、花柄ごと切り取った。驚いた。皮(がく)がブリキ板のように硬くとんがっている。触れると痛い。こんな皮をむいて食べるのか。

皮をどうはがしたものか、アイデアが浮かばない。手を出せば痛い。水を入れたコップに入れておいたら、薄紫色の花が咲き出した。

アザミに似た、いかにもキク科らしい線状花だ。別名「チョウセンアザミ」は、大きなアザミのような花、という印象から付いたか。

花はきれいだが、この皮だ。どう考えても、下ごしらえは血を流さずには済まない。手が出ない――。

当時のブログを読むと、ただただとまどっている。それから10年以上たった令和2(2020)年6月。後輩からアーティチョークのお福分けにあずかった。そのときにも、ブログにとまどいを書いた。

――がくの先端部分を切り落とし、大きな鍋で湯を沸かし、アーティチョークを入るだけ入れて、40分ほど加熱した。

 それからが大変だった。原形はソフトボール大だが、皮をむいていくと、どんどん小さくなる。どこまでむけばいいのだろう。タマネギと同じで、最後はなくなってしまう?

なんと直径5センチほどの「花托」といわれるところ、そこが食用部分らしい。コーヒーや紅茶でいえば、「受け皿」の真ん中部分。下処理に要した時間からすれば、見返りは圧倒的に少ない――。

さて、今回はどうしたものか。アーティチョークを食べ慣れている女性は、お湯に塩を振って、丸ごと30分ほどゆでるという。

それで、針のように硬い皮がやわらかくなる。それから皮を1枚ずつはがし、付け根に少し残る果肉を歯でこそげ取る。最後に花托を刻んで食べる。今回は実に簡単だった。シェフよりシュフの知恵、である。

2023年6月2日金曜日

『偽情報と独裁者』

                                
 図書館の新着図書コーナーに、マリア・レッサ/竹田円訳『偽情報と独裁者――SNS時代の危機に立ち向かう』(河出書房新社、2023年)があった=写真。著者がどこのだれか、よくわからないままに借りて読んだ。

 フィリピンのジャーナリストだった。著者略歴などによると、子どものころ渡米して教育を受け、帰国してアメリカのCNNマニラ支局を開設・運営した。やがて、インターネットメディア「ラップラー」を共同で立ち上げ、調査報道に基づいてドゥテルテ大統領の強権政治を批判した。

 弾圧にも屈しない姿勢が世界の注目を集め、2021年にはロシアの独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のドミトリー・ムラートフ編集長とともに、ノーベル平和賞を受賞している。

「権力の乱用や暴力の横行、強まる専制政治の実態を自由な表現で暴いた」「ドゥテルテ政権の暴力的な麻薬撲滅キャンペーンに社会の注目を集めたほか、ソーシャルメディアがどのようにフェイクニュースを広め、嫌がらせや世論操作に使われているかを伝えた」

メディアが伝える授賞理由からも、彼女の闘いぶりがわかる。彼女自身、権力からあらぬ嫌疑をかけられ、ネットでいわれのない攻撃を受けた。

 「序章」だけで十分、著者がどんな環境の中に置かれているかがわかる。「2年足らずの間に、フィリピン政府が私に対して発行した逮捕状は10通にのぼる」。「ラップラー」は、創業5年目を迎えたころには、称賛から一転して政府のターゲットになった。

 法の支配が世界的になし崩しになっているのはインターネットに民主主義的ヴィジョンが欠けていることが発端だという。

「この10年間、私は、テクノロジーの神のごとき力が、嘘というウイルスを私たちに感染させて、互いに争わせ、恐怖、怒り、憎しみを煽り、あまつさえこれらを作り出して、世界中で権威主義者と独裁者の台頭を加速させてきたのを目撃し、記録してきた」

 春先、マイケル・ベリー/竹田純子訳『「武漢日記」が消された日』(河出書房新社、2022年)を読んだときにも、「偽情報」の感染力のすごさを感じた。

新型コロナウイルスが中国・武漢で猛威を振るい、ロックダウンが続いた日々を、地元の作家がブログ「武漢日記」につづった。それが海外で翻訳・出版されることが伝わると、作者と翻訳者に中傷が集中した。

権力批判がからむと、それを守るために絶えずだれかが話の内容をすり替えたり、偽情報をばらまいたりするらしい。アメリカの大統領選でも、ウクライナ戦争でもそんな話が伝わってきた。

マリア・レッサは、自分が受けた「ネットの暴力」をつぶさに明かす。その具体例を通して、SNSの怖さに思いが至る。それを根底におかないと、この世界はゆがんだ時空に迷い込んでしまうのではないか――そんなことを思った。

2023年6月1日木曜日

脱皮中だったか

                      
 朝、歯を磨きながら庭を一巡する。ヤブガラシはまだまだ芽を出している。それを見つけ次第、摘む。

 マサキにとりつくミノウスバの幼虫は、たぶんもういない。卵から孵って、かたまっているうちに新芽ごと除去した。それが効いたようだ。

 フランスギクは花茎を伸ばし、つぼみをつけ始めたのを、根ごと引っこ抜いた。シンテッポウユリも生け垣の根元などに生えてくるのを摘んだ。

 フランスギクは侵略的外来種、シンテッポウユリも厄介な植物だ。奄美地方では希少種のウケユリを守るために、シンテッポウユリを「外来種駆除対象種」にしている。環境省の「生態系被害防止外来種リスト」でも、「その他の総合対策外来種」に指定されている。

 芽をむしる、仔を撃つ――だけが、庭を巡る理由ではない。台所の軒下に、カミサンが園芸種の花を植えた。

 その花を目当てに現れる虫を狩ろうと、コガネグモの子(雌)が網を張った。網の中心には「X」形の白い隠れ帯があり、コガネグモはそれに合わせて足をのばしている。これを毎日観察する。

 クモの子に気づいたのは、4月末~5月初めの大型連休のころ。そのときのブログを要約して再掲する。

 ――クモの子は花の近く、鉢物の支柱を利用して地上70センチほどのところに網を張った。生まれたときからそこにいたわけではない。晩秋、どこか遠いところから空を旅してやって来たのだ。

秋に孵化した子グモたちは集団で過ごしたあと、尻から糸を流し、それが風に乗ると空に舞い上がる。これを「バル―ニング」というそうだ。

大きくなったコガネグモを何度か庭で観察している。そのときの様子がよみがえる。網の真ん中で、体を下向きにして、じっと獲物の昆虫が網にかかるのを待つ。

獲物がかかるとすぐ走りより、かみつき、糸でぐるぐる巻きにして動けなくする。それを網の真ん中まで運んでから食べる――。

それからほぼ1カ月。5月29日の夕方、息抜きに庭へ出てクモの子を見ると、あれっ、どうした! 空中にぶらさがって、足をダラッと投げ出しているではないか=写真。

X字の隠れ帯の近くには、茶色っぽい「別のクモ」がいる。それにかまれて、毒を注入されたか?

クモの子は、クモの巣とは尻から出した糸一本でつながっている。風が吹いているわけではないが、クルクル回ったかと思うと、また元に戻る。そのうち、足を折りたたんで動かなくなった。

翌朝、新聞を取り込むついでにクモの子を見ると、なんといつものように足をX字に広げて逆さになっているではないか。

脱皮か。ネットで検索すると、脱皮中のコガネグモの動画がアップされていた。目撃したのとまったく同じ動きをしていた。「別のクモ」、つまり抜け殻は跡形もなかった。

家の庭という小さな自然ながら、そこに展開されている生きものたちの営みには、いつも引きつけられる。厳粛で不思議な気持ちになる。今回もそうだった。