2023年6月5日月曜日

『黎明期の群像』


   『ふくしま近代医学150年 黎明期の群像』=写真=が福島民友新聞社から発行された。まずは福島医大医学部同窓会長・重富秀一さんの「巻頭言」冒頭部分を紹介する。

明治4(1871)年、「戊辰戦争の終結から間もない時期に白河医術講議(ママ)所が設立され、系統的な西洋医学教育が始まった。福島県立医科大学の始まりである」

 同講議所開設から150年の節目の年に当たる令和3(2021)年7月5日~翌年5月6日、福島民友新聞に福島県の近代医学教育を振り返る「黎明期の群像」が連載された。

 医大の同窓会と民友新聞の共同企画で、主に県内自治体の文化振興課、歴史資料館などに所属する職員や学芸員、研究者が執筆した。

 いわき関係では唯一、渡辺町出身の「『台湾医学衛生の父』高木友枝」が載る。市の文化振興課(当時)に問い合わせがあり、たまたま台湾旅行に合わせてブログで高木を取り上げたことのある私に執筆の依頼がきた。

 共同企画がありがたかったのは、写真や資料の不足分を新聞社側が補完してくれたことだ。執筆者が原稿だけでなく、写真も資料も用意してほしいとなれば、たぶん断っていた。そのへんの経緯を拙ブログから要約して振り返る。

――連載のなかで、いわき市渡辺町出身の医学者高木友枝(1858~1943年)を紹介することになった。

私は、医大とは関係がない。医療・医学史の研究者でもない。ブログで台湾旅行記を書き、そのなかで日本統治時代、医学・衛生面で貢献した高木を取り上げた。ただそれだけの縁で原稿依頼があり、軽い気持ちで引き受けた。

台湾へは同級生と行った。「台湾高鐵」(新幹線)に乗るのが目的だった。1回目は台北に着くと台風が襲来して断念した。2年後、再訪した。高鐵を利用して中部の日月潭や南部の高雄を訪ねた。

台湾へ行く以上はいろいろと調べものをした。そのなかで「台湾医学衛生の父」高木がいわき出身であることを知った。高木は電力会社の社長も務めた。

新聞連載が始まるとびっくりした。広告の上、1ページを丸々使っている。同窓会側の担当者と連絡を取りながら、字数や掲載写真などを詰めた。さらには、渡辺町の生家周辺を訪ねて取材をした。そうでないと1ページは埋められない。

令和3年10月中には原稿を仕上げ、写真も送った。掲載されたのはざっと3カ月後の同4年2月7日だった――。

共同企画がムック本になって届いた。高木を台湾に呼んだのは、昵懇にしていた民政長官後藤新平で、後藤もまた白河講議所が移転してできた須賀川医学校出身と、福島県とは縁が深い。

後藤のほかに、福祉事業の瓜生岩、看護師教育に尽力した大山捨松や山本(新島)八重なども取り上げている。福島県は「医学史の宝庫」、それを裏付ける一冊ではある。

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