2019年2月7日木曜日

「鬼県令」の息子は五輪選手

 毎週日曜日、県道小野四倉線=写真=を利用して、夏井川渓谷の隠居へ行く。この道路は明治になって開削された。
 浜通り歴史の道研究会が平成20(2008)年6月、『道の文化財 福島県浜通り地方の道標』を刊行したときのこと。研究会会長だった故里見庫男さんに頼まれて、校正・リライト・一部撮影を担当した。

 それで知ったのだが、県道小野四倉線は①古い時代にはなかった②明治10年代の中ごろ、県令三島通庸(みちつね)が福島県内の主要道路を改修した際、併せてつくられた③戦後、“磐城街道”という呼び名で親しまれるようになった――。いわき市小川町上小川字高崎地内にある道標のひとつに寄せた歴史家、故佐藤孝徳さんの文章の抜粋だ。

「三島通庸は、県内では『鬼県令』といわれて評判はよくないが、いわきにとっては恩人だよ」と、孝徳さんは言っていた。

 今年(2019年)の大河ドラマは「いだてん」。今のところ、日本人2人が初めてオリンピックに出場するまでの物語として展開している。主役はマラソンの金栗四三(かなくりしそう=1891~1983年)。東日本大震災の年まで、総合優勝者に「金栗杯」を贈る「勿来の関マラソン大会」がいわき市勿来で開かれていた。3年間、勿来支局にいて取材した。

 勿来の関マラソンは震災後、中断した。それと前後して、2010年に「いわきサンシャインマラソン大会」がスタートした。9回目の昨年(2018年)からは、勿来の関マラソンを承継する意味で、総合優勝者に「金栗杯」が贈られるようになった。今年は3日後、2月10日に開かれる。大河ドラマもあって、総合優勝者には「いだてん」の称号が贈られたりして……。

 それはさておき、金栗とともに1912年のストックホルム大会に出場した選手に、短距離の三島弥彦(1886~1954年)がいる。大河ドラマでは生田斗真が演じている=写真下。あの「鬼県令」の三男だ。
 通庸は県令のあと、警視総監になった。在任中に急死したとき、弥彦はまだ2歳だった。長じて東京帝大に入るが、当時としては長身、スポーツも万能だった、とウィキペディアにある。オリンピック出場が決まったのは、羽田で行われた予選会に飛び入り参加し、100メートルほか2種目で優勝、200メートルで2位に入ったからだ。3日の大河ドラマがそうだった。

 学生時代に陸上競技をやっていたので、ドラマには興味がある。金栗が走行中、「スース―ハーハー」とやる。長距離走の場合は2回吸って2回吐く――そう教えられたことを思い出しながら見ていると、つい「スース―ハーハー」を始めている自分に気づく。

ま、今は主役より三島弥彦だ。弥彦の母親(通庸の妻)役、白石加代子のバケモノぶりもおもしろい。彼女は徳富蘆花の「不如帰」のモデルにもなったとかで、図書館から借りてきて読んだが、明治の文体に辟易して、こちらはすぐ投げ出した。

2019年2月6日水曜日

福島県浜通りとスウェーデン

 日本以外の国のキノコ文化を知りたくて、図書館通いを続けている。還暦を機に始めた同級生との“海外修学旅行”では、キノコに出合えばメモをし、写真を撮ってきた。といっても、北欧とサハリン(樺太)だけだったが。
 サハリンでは8月、北緯50度近くのオホーツク海に面した幹線道路沿いで、地元の村の娘さんが大きなモミタケの幼菌を売っていた。スウェーデンでは、レストランで魚とアンズタケ(カンタレラ)のグラタンを食べた。ノルウェーではコンビニでアンズタケを売っていた。デンマークでも果物屋の店頭にアンズタケが並んでいた。9月下旬、北欧はアンズタケの最盛期だった。

野生キノコである。セシウム134は半減期が2.1年、セシウム137は30年。北欧を訪ねたのは2009年だから、チェルノブイリ原発事故からは23年がたっていた。いや、23年しかたっていなかった、というべきか――。

そんなことを考えるようになったのは、しかし、北欧旅行2年後の2011年3月、東日本大震災が起きてからだ。

東電福島第一原発(通称1F=いちえふ)が大津波によって全電源を喪失した。水素爆発がおきて建屋が大破し、放射能雲が北西方向へ流れたとき、春の雪が降って阿武隈高地の東側を中心に、土壌が汚染された。

以来、阿武隈の野生キノコを採ることも、食べることもできなくなった。ならば、キノコの写真を撮るか、記憶を材料にしてキノコを“研究”するしかない。最近、そんな心境になって、北欧のキノコ文化から勉強を始めることにした。
 
『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』(合同出版、2012年2月刊)という本がある。キノコのことも書いてあるに違いない。図書館から借りて本を開いた瞬間、既視感に襲われた。

今から33年前の1986年4月、チェルノブイリ原発事故が起きる。放射能雲が西から北西へと流れ、スウェーデン上空に達したとき、雨が降った。口絵にそのとき降下したセシウム137の汚染図が載る=写真。南北に長く伸びた地図と、中央付近のピンク色と濃いバラ色。海岸線は、スウェーデンは凹形、福島県浜通りは凸形と異なるが、この地図、福島県浜通りの汚染図に似ていないか。

そもそもこの本は1Fの事故後、緊急に翻訳・出版されたのだろう。そのときこれを読んでいたら、自分のなかに生まれた怒りや先行き不安をもう少しうまくコントロールできたかもしれない。行政当局の「情報をめぐる大混乱」を含めて、1Fの事故直後からの流れが「そうだったのか」と、後追いながら見えてくる。

農業庁の委託によって、国防軍研究局が大学や食品庁、放射線防護庁などと合同プロジェクトを組んでまとめた報告書だという。日本でもおきた「情報をめぐる大混乱」の教訓は、こうだ。

「行政当局は、ときに、国民に不安をあたえることを危惧して、情報発信を躊躇(ちょうちょ)する場合があります。しかし、各種の研究報告によれば、通常、情報発信によってパニックの発生を恐れる根拠はなく、むしろ多くの場合、十分に情報が得られないことが、大きな不安を呼び起こすのです。/とりわけ、情報の意図的な隠蔽(いんぺい)は、行政当局に対する信頼を致命的に低下させかねません」

キノコに関する記述も、もちろんあった。スウェーデンと日本の違いもある。「スウェーデン人が一般的に少量しか食べないと判断された食品」(キノコ類がこれに当たる)は、基準値が「キロ当たり1500ベクレル」とゆるやかだ。もっとも、基準値を緩和したときには各方面からブーイングが起きたそうだが。全量検査についても、費用対効果の観点からサンプリング検査しか行っていないという。

確かに、キノコは副食としても、マイナーのマイナーな食材だ。一年中、ガバガバ食べるようなものではない。だからこそというべきか、せっかく得た既視感だ、福島県浜通りとスウェーデンの「その後」を比較・照合してみるか、という気持ちになっている。

2019年2月5日火曜日

「箱入り猫」にも春

東日本大震災後、飼っていた猫3匹が順次死んでからは、猫は飼わないことにした。それから4年近くなるが、カミサンの猫かわいがりは変わらない。私と違ってペットロスになったらしく、すぐ、家に来る2匹の“外猫”の世話を始めた。
私に遠慮してか、自分のテリトリー(店舗兼住宅のうち店舗部分)では遊ばせても、住居部分には入れない。ふだんは南向きの庭で過ごしている。1匹はこのところ急に老いた。日中は縁側や庭の片隅に丸まってじっとしている。これまでの例からいえば、そろそろ――かもしれない。

暖冬とはいえ、外で過ごす猫にはきつい日もあっただろう。カミサンがたまたま、手に入れたリンゴ箱を軒下に置いたら、さっそく風よけに使ってひなたぼっこをしていた=写真。

おととい(2月3日)は節分、きのうは立春。暦の上では、冬から春に季節が進んだ。天気も春を感じさせる一日になった。

前日、浴槽を掃除しながら思った。この冬は、水道管が凍ってガス給湯器が作動しない、なんてことはなかったな――。雨だってずっと降っていない。およそ10日前、雪が降ったが、いわきの平地ではすぐ消えた。きのうも早朝、ごみネットを出したら、路面が濡れていたが、記録上は降水量ゼロだった。

石油ストーブとヒーターで茶の間を暖房し、日が昇ってからは止めた。朝のうちは南からの暖かい風の影響と、暖房の余熱が効いてか、室温はずっと20度を保っていた。背中が少し汗ばむ感じがした。

風もときどき轟音を発した。最大瞬間風速は小名浜で20.8メートルだった。北陸では「春一番」が吹いたそうだ。文字通りの立春に、老猫もだらりと足を投げ出したり、伸びをしたりしたのではないか。

2019年2月4日月曜日

沼に半分沈んだ乗用車

 きのう(2月3日)午後遅く、アッシー君をして中之作の「つるし雛飾りまつり」を見たあと、新舞子の海岸道路を利用して帰った。
8年前、大津波が押し寄せたとき、海岸の黒松林は後背地の家や田畑を守る“クッション”になった。が、代償も大きかった。地中にしみこんだ塩分を根が吸い上げ、浸透圧によって松が脱水症状を起こした。やがて、遠目にも茶髪が増え、密林が疎林に変わった。

そのなかを、右手に太平洋を望みながら、といいたいところだが、まばらになった松と高くなった海岸堤防にさえぎられながら進む。左手に藤間沼が見えるとすぐ、カミサンが叫んだ。「沼に大きなものがある! 止めて、とめて」。大きな水鳥? チラ見したときには、カモはいなかったはずだが。

南と北の沼を分ける堤付近でUターンする。と、沼の真ん中付近に、フロントガラスから上だけを出して乗用車が沈んでいた=写真。

大津波のあと、いわきの海岸部で日常ではありえない景色をたくさん見た。波打ち際でひっくり返っている軽自動車、砂浜にあらかた埋まった車、ペシャンコになった車……。フラッシュバックとまではいかないが、それらの記憶がよみがえる、超現実的光景だ。

道路から沼にせり出したスペースがある。何台か車が止められる。岸辺には若い黒松が並んでいた。ストリートビューで確かめると、十数本あるうち葉をつけているのは4本。あらかたは立ち枯れている。そこに立入禁止を示す福島県警の黄色いテープが張られていた。

「沼に半分沈んだ乗用車」から、ハリウッド映画のようなカーアクションを想像することは簡単だ。海岸道路を疾走していた車がなにかのはずみで車道を逸脱し、岸辺の立ち枯れ松を折りながら宙を飛んで、沼の真ん中に、しかもこちらに向きをかえて着水した――。

しかし、事実は小説より奇なりで、第三者がいくら想像をたくましくしても、事故の実際はわからない。きのうの新聞にもけさの新聞にも、記事はなかった。けがをしたとしても軽傷だったのだろう。

2019年2月3日日曜日

日本産のコブハクチョウ

いわきのハクチョウの越冬地、平・塩地内の夏井川に年末、コブハクチョウが現れた。拙ブログで書いたら、日本野鳥の会いわき支部の元事務局長Tさんから手紙が届いた。コブハクチョウに関する詳細なデータが同封されていた。
コブハクチョウは主に欧州に生息する。その外来種が、日本の湖沼や河川で目撃されるようになったワケは……。公園の池などに放鳥される→繁殖する→一部が飛び立つ→新天地でまた繁殖する、という悪循環に陥っているかららしい。

放鳥地のひとつが北海道函館市の北にある七飯(ななえ)町だった。1975年、大沼国定公園に観賞用としてつがいが放たれると、翌年にはさっそく雛が生まれる。翌々年には若鳥たちが海をはさんだ対岸、苫小牧市のウトナイ湖へ移動し、ここで大繁殖した。標識調査の結果、冬、ウトナイ湖から750キロ先の霞ケ浦・北浦へ南下して越冬する個体も現れた。

茨城県水戸市の千波湖も、1970年、彦根から2羽を譲り受けて放した結果、コブハクチョウの繁殖地になった。近隣の湖沼に拡散しているという。

すでに日本の北にも南にもコブハクチョウが生息している。Tさんは、平・塩のコブハクチョウは「南下して来たか、北上して来たか、全く不明」としている。

コブハクチョウの飛来が確認された宮城・福島・茨城3県の湖沼・河川と平・塩との直線距離も一覧にしてくれた。3県で飛来が確認されたところは13カ所。うち伊豆沼(宮城)からは189キロ、2012年6月に雛が5羽誕生した木戸川河口(楢葉町)からは24キロ、茨城の北浦からは132キロだ。仮に時速50キロで飛ぶとして、北浦からだとわずか2時間半くらいだ。

平・平窪にも、南部の鮫川河口にも飛来している。鮫川ではおととし(2017年)、去年と、2年続けて繁殖している。知らなかった。

コブハクチョウは、いわきでは「漂鳥」扱いになっているが、繁殖・定着が続けば「留鳥」として扱わないといけなくなるかもしれない。

 きのう(2月2日)夕方、堤防を通ると、白鳥おばさんによるえさやり、「食事タイム」が近かったせいか、150羽ほどがひしめいていた=写真。土曜日だったこともあって、家族連れが見物に来ていた。風が冷たかった。大群のなかから1羽のコブハクチョウを見つけるのは難しい。岸辺に降りずにそのまま車を走らせた。

にしても――。この前、少し雪が降ったほかは、1カ月以上雨がない。夏井川はもともと水量が少ない川だ。あちこちに“川中島”ができている。きょうの天気予報は「晴れのち曇り、夜遅く雨」だとか。

2019年2月2日土曜日

「ジーヴズの事件簿」

 去年(2018年)秋に皇后・美智子さまが84歳の誕生日を迎えられたとき――。文書で、退位後の楽しみに読書を挙げ、「ジーヴスも二、三冊待機しています」と付け加えられた。
ジーヴス? 初耳だ。私のなかでは、美智子さまは世界の児童文学に精通している文学者だ。外国の有名なシリーズ物か何かだろう、とは思ったが、頭はキノコのことでいっぱいで、そのまま年を越した。

ジーヴスの名を知ってから3カ月。カミサンが『ジーヴズの事件簿 大胆不敵の巻』文春文庫(2018年11月25日第10刷)を買った=写真。帯に「ジーヴスも二、三冊待機しています」と、美智子さまの回答文が引用されていた。作者はP・G・ウッドハウス(1881~1975年)。イギリスのユーモア小説作家だという。

ではと、カミサンより先に読み始める。バーティ―は暇を持て余す伯爵位継承予定者、ジーヴズはその執事。バーティ―を軸に、幼なじみのビンゴなどが絡んで物語が展開する。が、事件が起きると、うまく着地点を探り、解決に導くのはジーヴズだ。控えめな執事、いわば脇役が真の主人公、ということらしい。

美智子さまは文学者――そう感服したことがある。ざっと20年前の平成10(1998)年、第26回IBBY(国際児童図書評議会)ニューデリー大会で、ビデオで基調講演をし、日本語版が夜、NHK教育テレビ(現Eテレ)で放送された。

飲み会が終わって帰宅したら、カミサンが講演を聴いていた。私も酔眼でテレビと向き合っているうちに、だんだんと引きつけられた。番組が終わると、感動と体内アルコールとで興奮状態になった。「いいこと言ってる、宮内庁に電話して! 『よかった』って」

酔っ払いがしつこくいうものだから、カミサンが104番(電話番号案内)にかけた。番号案内サービスの方もびっくりしたらいい。「宮内庁、ですか?」。で、教えられた番号にかけると、録音テープで、きょうの業務は終わりました、用のある人はあしたまたかけてください、といった内容の音声が流れたそうだ。

 ゆうべ、宮内庁のホームページを開いて、「子供の本を通しての平和――子供時代の読書の思い出」と題する当時の基調講演の内容を確認した。前半で児童文学や古事記・日本書紀に触れ、後半で詩のことに言及している。ブッセ、ジャム、ブレーク、フロスト、タゴール、ケストナー……。フロストの場合は「牧場」という短詩も引用していた。このくだりにしびれたのだと思う。

つい先日のことのように、美智子さまのそのときの映像が思い浮かぶのは、“酔耳”にも小説や詩への愛がはっきり感じられたからにちがいない。

「読書は、人生の全てが、決して単純ではないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても」ということばに、また深い共感を覚えた。

2019年2月1日金曜日

老化と劣化

 BSプレミアムで「再現 明治天皇の晩餐会」を見ていたときのことだ。「フォアグラのアスピック香草添え」というのが登場した=写真。
 晩酌中で神経がゆるんでいたせい、というよりは老化だろう。頭には「フォアグラ」という言葉が浮かんでいたのに、口から出てきたのは「フェラガモ」だった。カミサンが驚いてこちらを見た。「フォアグラでしょ! フェラガモなんて、高級ブランドをよく知ってるね」。なにかファッション関係の印象があったが、中身は知らない。新聞か雑誌の広告で名前を覚えていただけだ。

フォアグラは世界三大珍味のひとつ、「肥大したガチョウの肝臓」だ。三大珍味のうちトリュフ、キャビアは試食したが、フォアグラは……食べた記憶がない。食べたとしても、それとは知らずに、だろう。その程度だから、「フェラガモ」の「ガモ」からカモ(鴨)を連想し、次いでガチョウが思い浮かんでフェラガモと言ってしまったようだ。

言葉、つまり言葉が指し示すモノ・コトへの注意力が落ちている。老化と劣化が同時におきている。「アレ、アレ」。頭ではわかっていても、言葉が出てこない場面が増えた。老化と劣化を実感する瞬間だ。すると、誤った用語や慣用句も誤用の認識が薄れて使い始めないともかぎらない。

現役のときの“辞書”といえば、広辞苑などよりは共同通信社の『記者ハンドブック 新聞用字用語集』だった。なかでも、「誤りやすい用字用語・慣用句」のページは、毎日のように開いた。今もハンドブックをそばに置いている。

つい誤用してしまいがちなのが、「明るみになる」(正しくは「明るみに出る」「明らかになる」)、「第1日目」(同「第1日」「1日目」)、「まだ未解決」(同「未解決」「まだ解決していない」)など。ハンドブックにはないが、「雨模様」も誤用される言葉のひとつといっていい。正しくは「雨が降っている状態」ではなく、「今にも雨が降りそうな空模様」のことをいう。

「満天の星空」(正しくは「満天の星」)も、「第1日目」、あるいは「富士山山(ふじさんやま)と同様、重複表現だ。この誤用を最近、話し言葉の総本山ともいうべきNHKのアナウンサーがやった。別の番組でもやった。連発するということは、これは組織的な劣化ではないのか――なんてあきれているうちに、自分の「フォアグラとフェラガモ」の話を思い出したのだった。