2019年2月6日水曜日

福島県浜通りとスウェーデン

 日本以外の国のキノコ文化を知りたくて、図書館通いを続けている。還暦を機に始めた同級生との“海外修学旅行”では、キノコに出合えばメモをし、写真を撮ってきた。といっても、北欧とサハリン(樺太)だけだったが。
 サハリンでは8月、北緯50度近くのオホーツク海に面した幹線道路沿いで、地元の村の娘さんが大きなモミタケの幼菌を売っていた。スウェーデンでは、レストランで魚とアンズタケ(カンタレラ)のグラタンを食べた。ノルウェーではコンビニでアンズタケを売っていた。デンマークでも果物屋の店頭にアンズタケが並んでいた。9月下旬、北欧はアンズタケの最盛期だった。

野生キノコである。セシウム134は半減期が2.1年、セシウム137は30年。北欧を訪ねたのは2009年だから、チェルノブイリ原発事故からは23年がたっていた。いや、23年しかたっていなかった、というべきか――。

そんなことを考えるようになったのは、しかし、北欧旅行2年後の2011年3月、東日本大震災が起きてからだ。

東電福島第一原発(通称1F=いちえふ)が大津波によって全電源を喪失した。水素爆発がおきて建屋が大破し、放射能雲が北西方向へ流れたとき、春の雪が降って阿武隈高地の東側を中心に、土壌が汚染された。

以来、阿武隈の野生キノコを採ることも、食べることもできなくなった。ならば、キノコの写真を撮るか、記憶を材料にしてキノコを“研究”するしかない。最近、そんな心境になって、北欧のキノコ文化から勉強を始めることにした。
 
『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』(合同出版、2012年2月刊)という本がある。キノコのことも書いてあるに違いない。図書館から借りて本を開いた瞬間、既視感に襲われた。

今から33年前の1986年4月、チェルノブイリ原発事故が起きる。放射能雲が西から北西へと流れ、スウェーデン上空に達したとき、雨が降った。口絵にそのとき降下したセシウム137の汚染図が載る=写真。南北に長く伸びた地図と、中央付近のピンク色と濃いバラ色。海岸線は、スウェーデンは凹形、福島県浜通りは凸形と異なるが、この地図、福島県浜通りの汚染図に似ていないか。

そもそもこの本は1Fの事故後、緊急に翻訳・出版されたのだろう。そのときこれを読んでいたら、自分のなかに生まれた怒りや先行き不安をもう少しうまくコントロールできたかもしれない。行政当局の「情報をめぐる大混乱」を含めて、1Fの事故直後からの流れが「そうだったのか」と、後追いながら見えてくる。

農業庁の委託によって、国防軍研究局が大学や食品庁、放射線防護庁などと合同プロジェクトを組んでまとめた報告書だという。日本でもおきた「情報をめぐる大混乱」の教訓は、こうだ。

「行政当局は、ときに、国民に不安をあたえることを危惧して、情報発信を躊躇(ちょうちょ)する場合があります。しかし、各種の研究報告によれば、通常、情報発信によってパニックの発生を恐れる根拠はなく、むしろ多くの場合、十分に情報が得られないことが、大きな不安を呼び起こすのです。/とりわけ、情報の意図的な隠蔽(いんぺい)は、行政当局に対する信頼を致命的に低下させかねません」

キノコに関する記述も、もちろんあった。スウェーデンと日本の違いもある。「スウェーデン人が一般的に少量しか食べないと判断された食品」(キノコ類がこれに当たる)は、基準値が「キロ当たり1500ベクレル」とゆるやかだ。もっとも、基準値を緩和したときには各方面からブーイングが起きたそうだが。全量検査についても、費用対効果の観点からサンプリング検査しか行っていないという。

確かに、キノコは副食としても、マイナーのマイナーな食材だ。一年中、ガバガバ食べるようなものではない。だからこそというべきか、せっかく得た既視感だ、福島県浜通りとスウェーデンの「その後」を比較・照合してみるか、という気持ちになっている。

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