2019年7月11日木曜日

「雄鶏と飼い主を提訴」とな

 隣の幼稚園(保育園)の子どもの声がうるさい――。いい年をした大人が文句を言う。それと根っこは同じだろう。
 静穏な環境は必要だ。隣がコンビニだったとき、車のエンジンをかけたままの“音鳴りさん”と排出ガスに悩まされた。コインランドリーに変わった今も、事情は変わらない。いつかは、“音鳴りさん”は去る。そう思って、なんとか気持ちを抑えている。

 そういう身からしても、「コケコッコー騒音?仏で論争/バカンスで夫婦が雄鶏など提訴/飼い主『田舎で歌う権利がある』」という朝日の記事=写真=には驚いた。フランスではそこまでやるのか。

 年齢、性別、職業、思想、宗教、食、自然……。どこを切っても、何をとっても違うのがこの世の中だ。世界は雑多なものがまじりあってできている。

たとえば、音。これも、ウミ・マチ・ヤマでは違う。山里の連続する渓流の音に、沿岸部で潮騒を聞いて育った人間は落ち着かなくなる。救急車の「ピーポー、ピーポー」が鳴り響くマチとちがって、ヤマに救急車がやって来ると、どこのだれが呼んだのか、どこまで行くのか、と気になる。音ひとつとっても、受け止め方が異なる。

 フランス人は主に夏、長期休暇(バカンス)をとる。内陸の都市リモージュに住むある夫婦は、ざっと200キロ離れた西の海岸から橋でつながるオレロン島の別荘で、夏の間だけ過ごす。

記事にはリゾート地とあったが、島の沿岸ではカキ養殖、内陸では牧畜・穀物・野菜栽培がおこなわれている。第一次産業が主体の島のようだ。鶏を飼っていても不思議ではない。いや、未明に雄鶏が鳴くのはオレロン島らしい“音風景”だろう。

なのに――と、思う。「隣家の雄鶏の鳴き声が『騒音』だとして、別荘に夏の間だけ暮らす夫婦が雄鶏と飼い主を相手取り、雄鶏を別の場所に移すよう求める訴えを裁判所に起こし」た。なんと身勝手な……。

「別荘暮らし」と「田舎暮らし」は違う。24年前、高齢の義父に代わって夏井川渓谷にある隠居の管理人になった。隣組にも加わった。集落の人々と無縁の「別荘暮らし」では自然を眺めるだけだが、隣組に入ったおかげで「山里暮らし」の面白さを知った。

 ある家に行って酒を飲み、泊まって朝食をごちそうになったとき――。一杯のみそ汁からふるさとのネギの味を思い出し、苗と種をもらって三春ネギの栽培を始めた。

「郷に入れば郷に従え」である。早く寝て早く起きれば、雄鶏の鳴き声に耳をふさぐことも、夏場、よそへ移動してくれと訴えることもなくなる。田舎暮らしの習慣を身につけたら、かえって雄鶏の鳴き声がいとおしいものになるはずだが、田舎の人間と交わりたくない都市の人間には無理か。

2019年7月10日水曜日

ん?えっ?ほほー!

 テレビは、朝以外には主に晩酌をしながら見る。おととい(7月8日)は6時台のニュース番組のあと、Eテレの「沼にハマってきいてみた」にチャンネルを合わせた。ん? Eテレにしたはずだが、TBSの安住紳一郎アナウンサーがしゃべっている=写真下。まちがったか? いや、まちがっていない。どういうこと?
 安住アナは、NHK全国学校音楽コンクール、略して「Nコン」の大ファンだそうだ。合唱の「沼」にハマった人間としてお呼びがかかったらしい。だとしても、組織が異なるわけだから、ゲスト出演が実現するまでには局間・局内でいろいろやりとりがあったことだろう。よく“越境”できたものだ。

 きのうはまた、別の驚きがあった。朝日新聞が1面トップで「ハンセン病家族訴訟 控訴へ/政府、経済支援は検討」と報じた。ところが、NHKは「控訴断念」だ。真逆のニュースを紹介するツイッター情報に触れて、えっ?となった。

朝日のいう「政府関係者」(複数だろう)とは誰なのか。会社でいうと、専務までは「控訴やむなし」で社内の合意ができていたのに、社長の鶴の一声でご破算になったか。「結果誤報」だとしたら、その経緯をぜひ説明してほしいものだ。(あとで、同社のホームぺージをのぞくと、政治部長名で誤報の経緯を説明していた。やはりトップの政治判断だったようだ。今朝の朝日は1面トップで「控訴断念」を報じ、同時に「おわび」と誤報の経緯を掲載している)
 そして、夜9時。BSプレミアムの「アナザーストーリー」は、「ブッチャーがやって来た!世紀の悪役 愛と哀しみのドラマ」(再放送)だった=写真上。日本のプロレス界で、タイガー・ジェット・シンとともに、悪役レスラーとして名をはせたアブドーラ・ザ・ブッチャーの半生を追った。白人レスラーからの差別、ジャイアント馬場との友情などにうなった。

 スタン・ハンセンがカウボーイ姿でロープを回しながら入場する。そして、左腕の「ウエスタン・ラリアット」で相手をリングに沈める。自分のスタイルはブッチャーから学んだというくだりにも、ほほー!となった。夢中になってテレビ観戦をした一人として、リング外の愛と哀しみに触れて、ジャイアント馬場のすごさが逆に浮かび上がってきた。

2019年7月9日火曜日

カツオの北上が遅れている

 平成20(2008)年にブログを始めた。今年(2019年)で12年目。旅行と病気のとき以外は毎日更新してきた。30年来、日曜日は刺し身――と決めている。カツオをキーワードに自分のブログを検索した。夏場にカツオの入荷が少ない、といった記事はなかった。少なくともこの11年間では初めてのことだ。
 おととい(7月7日)の日曜日、マイ皿を持って、いつもの魚屋さんへカツオの刺し身を買いに行く。と、若だんながすまなさそうな顔をして、「これしかないんです。足りない分はタコにしますか」。いつもの3分の1だ。しかたない、カツオとタコの盛り合わせにしてもらった=写真。

 カツオが北上してこないのだという。先週の日曜日にも同じことをいっていた。北上を阻んでいるのは海水温の低さだ。まだ南にいるので、脂ものっていない。

 ネットに6月16日付の河北新報の記事がアップされていた。宮城県気仙沼港に1カ月もカツオの水揚げがない。「群れ北上せず漁に打撃」と見出しにあった。例年だと、茨城県から三陸沖まで北上する漁場が、三重県から神奈川県沖にとどまっている。それで、近くの千葉県勝浦漁港などへの水揚げが多いのだそうだ。水揚げ日本一の気仙沼はむろん、その手前にある大消費地の小名浜港も、カツオを水揚げするには遠い。

 それからもう3週間がたつ。最新の情報を求めて検索を続けると、「みなと新聞」に出合った。紙メディアでいうと、業界紙だろうか。伊豆諸島に停滞していたカツオはようやく北上を始めた。7月に入って福島県沖に漁場が出現した、ともある。「今後、群れは水温の上昇とともに北上する見通し」。そもそもの低温は「黒潮大蛇行の影響」なのだとか。

 マイ皿にあふれるほど盛り付けられたカツ刺しなら、すりおろしにんにくとわさびをまぜた醤油につけて食べる。にんにくだけだと次の日がきつい。わさびがそれをやわらげてくれる。しかし、今回はタコが入っている。カツ刺しも15切れくらいしかない。わさびだけにした。なんともさっぱり、あっさりした味だ。カツ刺しを食べているという実感が薄い。

 天気もよろしくない。小糠雨か曇りの日が続いている。福島地方気象台はきのう午後3時すぎ、「日照不足と低温に関する福島県気象情報」を発表した。中・浜通りでは6月28日ごろから日照時間の少ない状態が続いている。この状態は、今後2週間程度は続く。農作物の管理などに十分注意を――。栽培している三春ネギが心配だ。

というわけで、ここ数日は長そででないと肌寒い。晩酌の焼酎も水ではなく、お湯割りにしている。カツオの群れが北上してくれないことには、いわきの夏は始まらない、いやつまらない。

2019年7月8日月曜日

雨の中の草刈り

 小糠雨がやむことなく降り続ける。風が巻く。そのつど、ふっかける。冬なら吹雪。しかし、今は梅雨。夏井川渓谷の隠居の濡れ縁が文字通り、“ふっかけ雨”で濡れていた。
 きのう(7月7日)朝、隠居へ出かけた。午後には、若い知人夫妻が下の庭に密生しているヨシを刈りにやって来る。が、この雨だ。来てもらっても仕事にならない。気の毒だから延期を――と思っていたところへ、ケータイが鳴った。「昼食をとってから行きます」

 知人は2年前、第三次産業の世界から第一次産業の世界に転身した。前に拙ブログで紹介した「林業女子」だ。同じ職場で知り合った男性と結婚した。それを機に、また街の仕事に戻ることにしたという。

ご主人と初めて会った。山仕事は雨が降ったら休み。しかし、休んでばかりはいられない。雨が降っても、しなければならない仕事がある。下草刈りがそのひとつ。カミサンが夫妻と話し合って、下のヨシは日を改め、上の庭だけを刈ることにした。

上の庭だけでも分校の校庭くらいの広さがある。隠居の前の部分は、カミサンが草引きを続けてきた。それ以外は枝垂れ桜の樹下まで夏草に覆われている。

私は朝、フード付きのコートを着て、倒伏した三春ネギの苗を立てながら、左右前後から土を寄せた。それから少しそばの草をむしったが、手作業では限りがある。

隠居の中では、除湿を兼ねて石油ストーブとヒーターがついている。フード付きのコートとはいえ、少しは雨がしみる。土いじりを終えると、コートをヒーターの近くの鴨居につるし、こたつもつけて冷えた体を温めた。カミサンは合羽を着て草むしりを続けた。

 私に比べたら、山仕事のプロはいでたちが違う。雨具にヘルメット、ガードフェイス(スズメバチや石はねなどから顔を守る)、手袋と、完全防備で刈払機を操作する=写真。一服をはさんで2時間ほどで庭がきれいになった。

 そういえば、小川町の夏井川を水源とする農業用水路・小川江筋に軽トラが何台も止まり、至る所で草刈りが行われていた。7月最初の日曜日は草刈り日と決まっているらしい。山や田畑を相手に仕事をする人たちには、小糠雨くらいはなんともない? プロの仕事に敬服し、恐縮して、やがて胸中に青空が広がった。

2019年7月7日日曜日

「生まれたての朝」

 鉛色の雲が空を覆う。時折、しとしと雨が降る。風とともに雨が強まることもある。なんとなくうっとうしい。やっぱり梅雨だ。
実の生(な)りはじめたキュウリが気にかかる。定植して2カ月ちょっとたつ三春ネギも、雨・風の影響を受けていないか――。雲の切れ間が明るくなった金曜日(7月5日)、明け方、夏井川渓谷の隠居へ車を走らせた。

5時すぎ。いつもの田んぼ道を行く。平窪から小川へ入るところで、水石山があらわれる=写真上1。ふもとから天空へと霧がわいて雲になる。雨上がりだから見られる現象だろう。「生まれたての朝」。現役であれば新聞の絵解きの見出しに使いたくなるようなことばが脳裏に浮かぶ。

渓谷でも尾根と尾根の間から、湯気のように霧がわいていた。隠居の庭の草は濡れている。長靴にはき替えてキュウリをチェックする。万年筆くらいの実が4本生っていた。三春ネギは? かなり倒れている。ちょんぎられた葉もある。周りの土をかいてネキリムシを2匹、ブチッとやる。

三春ネギは昔野菜(在来作物)だ。やわらかい。加熱すると甘くなる。香りもある。ところが、栽培するうえでは手がかかる。風で折れたり、倒れたりしやすい。長雨には特に弱い。ネギは砂漠がふるさとだから、土中に湿気がこもると根腐れをおこす。
この日はキュウリを収穫し、倒れたネギをざっと起こして、7時前に隠居を離れた。平地に戻ると、小学生が集団登校をしていた=写真上2。「生まれたての朝」だからこそ見られる光景だ。

さて、きょう(7月7日)は雨が降っていなければ、追肥と土寄せを兼ねてネギを立て直す。知り合いが、下の庭のヨシを刈ってくれる手はずになっている。しかし、一日「傘」のマークだ。午前5時現在、雨はやんでいる。頼むからずっと一服したままでいてくれよ――願いはむなしくはねかえされて、また降りだした。

2019年7月6日土曜日

大久の新谷窯へ(下)

 きのう(7月5日)の続き――。囲炉裏ではクヌギの丸太がチロチロ燃えている。そばの土間に設けられたテーブルでは、主と客との茶飲み話が続いている。そこへ新たに客人が加わった。
 築300年以上のかやぶき屋根の古民家に暮らす新谷(にいたに)窯の夫妻が、街なかではなく自宅で展覧会を開いた(明7日まで)。庭にも縁側=写真上=にも、作品が展示された。土間の棚にもテーブルにも作品が飾られてある。

 新たな客人は沖釣りをする。茨城県の日立に船を持っている。釣ったマダイの刺し身を盛りつける大皿が欲しい、ということだった。マダイは白身の魚だ。白身が映える皿は……。テーブルの上に隣り合わせで茶色い大皿と青みがかったサンマ用の長皿があった。色は長皿の青、形は大皿がいい――というわけで、主は青みがかった大皿の制作を引き受けた。

 キノコの話になった。「『食べる』ことができないから、今はもっぱら『研究する』だけ」と私。主も「近くからキノコを採って測ったら、大変な数値だった」。

 新たな客人はいわきに住む。山の仕事をしている。木材も線量を測って出荷する。この日は雨で仕事が休みになった。で、旧知の新谷窯を訪ねた、というわけだ。

もともとは大熊町の住民だ。3・11の翌朝、町からの指示で、国道288号経由で阿武隈の山の向こう、田村市船引町に避難したという。

日立で仕事があり、その縁で沖釣り用の船をそこに係留している。事故前は浪江町の請戸港に係留していた。津波では無事だったが、台風で沈没した。なぜ遠い日立に船を?――いきさつを聞いて納得がいった。

 原発事故による放射能汚染は広範囲に及ぶ。夏井川渓谷のわが隠居も庭が全面除染された。いわきでは一番双葉郡に近い久之浜地区の大久も事情は同じ。やはり古民家の庭も全面除染の対象になり、土を入れ替えたという。

 事故から8年ちょっと。「車のガソリンは今も半分を切ると満タンにする」。だれもがうなずく。日々の暮らしの根っこには、あの災禍がしみついている。その延長で森のキノコを思うと、はらわたが煮えくり返ってくる。

帰り際、あらためて庭の大作を見た。水が張られた鉢にシモツケの花が浮かべられていた=写真下。オカトラノオも器に差してある。庭の土手にはナツツバキの花。陶器は花、食べ物、そしてお茶と相性がいい。かやぶきの古民家はノスタルジーではなく、陶房として最高の現場なのだと知る。
カミサンはここで「当たって砕けろ」作戦に出た。直径が70センチ前後はある、縁が一部欠けた大皿を見て、隠居の庭に飾りたいので、とねだる。主は快諾して、自宅下の道端にかざってある一つを譲ってくれた。

2019年7月5日金曜日

大久の新谷窯へ(上)

 新谷(にいたに)窯展が日曜日(7月7日)まで開かれている。今年(2019年)は平の街なかではなく、大久町の山里の自宅が会場だ。かやぶき屋根の古民家の庭、軒下、家の土間に作品が展示されている=写真下。
わが家からは山麓線(県道いわき浪江線)を利用して30分ほどだ。きのう(4日)午後、ドライブを兼ねて出かけた。

新谷辰夫・文代さん夫妻とは昭和50年代前半、平の草野美術ホールで最初の展覧会を開いたときに知り合った。呉須(ブルー)の馬上杯を買った。ぐい飲みを集めていたので、その延長で風変わりな酒器に手が出た。以来、ざっと40年のつきあいになる。

夫妻のつくる日用雑器が手になじむので、展覧会ではぐい飲みのほかに、ご飯茶わん・刺し身皿・糠漬けのキュウリやカブを入れる小鉢などを、一つか二つ買い求めてきた。カツオの刺し身用に、おろしにんにくと醤油をたらす赤絵の角皿を買ったこともある。

「こういうものがほしい」というと、応じてくれる。そのあたりがたぶん、ほかの人にとっても長いつきあいの理由になっているのではないか。

 梅雨まっただ中――。きのう、会場に着くと、うまい具合に雨がやんだ。文代さんが軒下で女性の客人たちと話していた。やがて女性たちが散らばる。と、文代さんがいう。「前に来たのはいつでしたかね」

こんなときの“目安”は、いつも2011年3月11日の東日本大震災だ。震災後は来ていない。そのときからさかのぼっても、ずいぶん前だ。たぶん30代後半、ないし40代前半。中をとって30年前ではなかったか。

初めて見る作品には、つい「どうやってつくったの」となる。指でへこませたような図案の大皿があった。指ではなく、ヘラでけずってへこみをつくった。指でへこませると、皿の裏側までへこんでしまうので――そんな話をしながらお茶を飲む。
囲炉裏では、二つ割りにされたクヌギの丸太がチロチロ燃えている=写真上。朝、火をつけて放っておくのだという。炭にしていい木は燃やしてもいいらしい。静かに部屋をいぶし、湿気をとる。そのチロチロ具合が、こちらの気持ちをほぐしてくれる。ということで、きょうはここまで。