2019年7月6日土曜日

大久の新谷窯へ(下)

 きのう(7月5日)の続き――。囲炉裏ではクヌギの丸太がチロチロ燃えている。そばの土間に設けられたテーブルでは、主と客との茶飲み話が続いている。そこへ新たに客人が加わった。
 築300年以上のかやぶき屋根の古民家に暮らす新谷(にいたに)窯の夫妻が、街なかではなく自宅で展覧会を開いた(明7日まで)。庭にも縁側=写真上=にも、作品が展示された。土間の棚にもテーブルにも作品が飾られてある。

 新たな客人は沖釣りをする。茨城県の日立に船を持っている。釣ったマダイの刺し身を盛りつける大皿が欲しい、ということだった。マダイは白身の魚だ。白身が映える皿は……。テーブルの上に隣り合わせで茶色い大皿と青みがかったサンマ用の長皿があった。色は長皿の青、形は大皿がいい――というわけで、主は青みがかった大皿の制作を引き受けた。

 キノコの話になった。「『食べる』ことができないから、今はもっぱら『研究する』だけ」と私。主も「近くからキノコを採って測ったら、大変な数値だった」。

 新たな客人はいわきに住む。山の仕事をしている。木材も線量を測って出荷する。この日は雨で仕事が休みになった。で、旧知の新谷窯を訪ねた、というわけだ。

もともとは大熊町の住民だ。3・11の翌朝、町からの指示で、国道288号経由で阿武隈の山の向こう、田村市船引町に避難したという。

日立で仕事があり、その縁で沖釣り用の船をそこに係留している。事故前は浪江町の請戸港に係留していた。津波では無事だったが、台風で沈没した。なぜ遠い日立に船を?――いきさつを聞いて納得がいった。

 原発事故による放射能汚染は広範囲に及ぶ。夏井川渓谷のわが隠居も庭が全面除染された。いわきでは一番双葉郡に近い久之浜地区の大久も事情は同じ。やはり古民家の庭も全面除染の対象になり、土を入れ替えたという。

 事故から8年ちょっと。「車のガソリンは今も半分を切ると満タンにする」。だれもがうなずく。日々の暮らしの根っこには、あの災禍がしみついている。その延長で森のキノコを思うと、はらわたが煮えくり返ってくる。

帰り際、あらためて庭の大作を見た。水が張られた鉢にシモツケの花が浮かべられていた=写真下。オカトラノオも器に差してある。庭の土手にはナツツバキの花。陶器は花、食べ物、そしてお茶と相性がいい。かやぶきの古民家はノスタルジーではなく、陶房として最高の現場なのだと知る。
カミサンはここで「当たって砕けろ」作戦に出た。直径が70センチ前後はある、縁が一部欠けた大皿を見て、隠居の庭に飾りたいので、とねだる。主は快諾して、自宅下の道端にかざってある一つを譲ってくれた。

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