静穏な環境は必要だ。隣がコンビニだったとき、車のエンジンをかけたままの“音鳴りさん”と排出ガスに悩まされた。コインランドリーに変わった今も、事情は変わらない。いつかは、“音鳴りさん”は去る。そう思って、なんとか気持ちを抑えている。
そういう身からしても、「コケコッコー騒音?仏で論争/バカンスで夫婦が雄鶏など提訴/飼い主『田舎で歌う権利がある』」という朝日の記事=写真=には驚いた。フランスではそこまでやるのか。
年齢、性別、職業、思想、宗教、食、自然……。どこを切っても、何をとっても違うのがこの世の中だ。世界は雑多なものがまじりあってできている。
たとえば、音。これも、ウミ・マチ・ヤマでは違う。山里の連続する渓流の音に、沿岸部で潮騒を聞いて育った人間は落ち着かなくなる。救急車の「ピーポー、ピーポー」が鳴り響くマチとちがって、ヤマに救急車がやって来ると、どこのだれが呼んだのか、どこまで行くのか、と気になる。音ひとつとっても、受け止め方が異なる。
フランス人は主に夏、長期休暇(バカンス)をとる。内陸の都市リモージュに住むある夫婦は、ざっと200キロ離れた西の海岸から橋でつながるオレロン島の別荘で、夏の間だけ過ごす。
記事にはリゾート地とあったが、島の沿岸ではカキ養殖、内陸では牧畜・穀物・野菜栽培がおこなわれている。第一次産業が主体の島のようだ。鶏を飼っていても不思議ではない。いや、未明に雄鶏が鳴くのはオレロン島らしい“音風景”だろう。
なのに――と、思う。「隣家の雄鶏の鳴き声が『騒音』だとして、別荘に夏の間だけ暮らす夫婦が雄鶏と飼い主を相手取り、雄鶏を別の場所に移すよう求める訴えを裁判所に起こし」た。なんと身勝手な……。
「別荘暮らし」と「田舎暮らし」は違う。24年前、高齢の義父に代わって夏井川渓谷にある隠居の管理人になった。隣組にも加わった。集落の人々と無縁の「別荘暮らし」では自然を眺めるだけだが、隣組に入ったおかげで「山里暮らし」の面白さを知った。
ある家に行って酒を飲み、泊まって朝食をごちそうになったとき――。一杯のみそ汁からふるさとのネギの味を思い出し、苗と種をもらって三春ネギの栽培を始めた。
「郷に入れば郷に従え」である。早く寝て早く起きれば、雄鶏の鳴き声に耳をふさぐことも、夏場、よそへ移動してくれと訴えることもなくなる。田舎暮らしの習慣を身につけたら、かえって雄鶏の鳴き声がいとおしいものになるはずだが、田舎の人間と交わりたくない都市の人間には無理か。
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