2023年1月13日金曜日

体言止め

                       
 劇作家・演出家の鴻上尚史さんが、時事通信社から「成人の日によせて」という原稿を頼まれた。

出稿すると、20カ所以上に直しが入った。理由は「体言止めが美しい」といったことだそうだ。納得できない旨、申し入れたら決裂した。そのことをフェイスブックで明かし、原文もアップした。

原文を読む。ですます調の読書の勧めで、どこにも体言止めはない。あったらかえって不自然だ。

「体言止めが美しい」という物言いは、ちょっと理解しがたい。というより、「メディアにいる人間がいう言葉か」と情けなくなった。体言止めはできるだけ使わないようにするのが、メディアの自戒のはずだからだ。

地域の新聞社に入って警察担当になり、事件や事故の記事を書き始めるとすぐ、体言止めの便利さにはまった。

それから10年ほどたってコラムを書き始めると、今度は体言止めが文章の流れを阻害することがわかった。体言止めは必要最小限にとどめることを体で覚えた。

記者になりたての私がそうだったように、警察や行政の発表物、いわゆるストレートニュースといわれるものに、今もこの体言止めが多用される。

たまたま目に入った新聞の記事を例にとる。「―を想定。―設定した。―ほぼ壊滅。―とした」と、1段落4文のうち2文の終わりが体言止めだ。続く段落も「―激しく抵抗。―無力化した。―と想定。―と予測した」と、4文中2文が体言止めになっていた。

仕事をやめてからは「ネットコラム」と称してブログを書き続けている。新聞コラムの延長という思いがあるので、体言止めは極力避ける。

最近の拙ブログを例にとると、体言止めは①1月7日=35文中3文」(うち2文が「カエル。」と「イノシシ。」=写真)②8日=39文中ゼロ③9日=43文中1文④10日=45文中2文⑤11日=44文中2文――だった。

体言止めだけではない。長年書き続けてきて、「体験的文章術7カ条」なるものを組み立て、「マスコミ論」(のちに「メディア社会論」)を選択した大学生に話したこともある。

すなわち、①名文より明文②文章は短く③読点は息継ぎを基本に④難字は避ける⑤同音異義に注意⑥音読み言葉より訓読み言葉を⑦比喩は要らない――。体言止めは便利だが、乱用すると悪文になる。当然、明文からは遠ざかる。

新聞は「伝達」が目的だから、文章は正確(コレクト)・簡潔(コンサイス)・明快(クリアー)の「3C」が基本になる。

前にこんなことを書いた。それを引用する。――「募る」と「募集する」は⑥に関係する。同じ意味だが、「募集する」は音読み言葉=漢語的表現、「募る」は訓読み言葉=和語的表現だ。3Cの視点でいえば、記者の思想や主観が入るコラムなどは「募る」にする。

ついでなので、「体験的文章術7カ条」は「体言止めは必要最小限に」を加えて「8カ条」にしてもいい。ま、これは自分への戒め、ということだが。

2023年1月12日木曜日

「初刺し身」はイワシ

        
 日曜日の夜は刺し身にする。これもルーティンの一つにはちがいない。カツオの刺し身一本やりなので簡単だ。カツ刺しのない冬場は、いろんな刺し身を楽しむ。

 年が明けて最初の日曜日は元日だった。当然、店は休みだから、今年(2023年)の「初刺し身」は次の日曜日(1月8日)になった。

 いつもの魚屋さんへ行くと、「イワシがあります」。店主の方から声がかかった。こういうときの魚はイキがいい。2年前にも初刺し身がイワシになった。そのときのブログを要約・紹介する。

――「何があるの?」「マグロ、ヒラメ、タコ」。それから一呼吸おいて、「イワシはどうですか」。なんだか耳うちするような口調になった。

 イワシは鮮度がいのちだ。「銚子で捕れたサバに混じっていました」。イワシとサバの関係はわからない。サバがイワシを捕食するのか、サバとイワシが一緒にプランクトンを食べていたところを捕らえられたのか。なにはともあれ、おまけの魚だったらしい。

 店主の動きを追う。イワシを3匹、ガラスケースの奥から取り出す。頭を切り、腹を裂いて内臓を除去する。水で洗ったあと、指で骨をはがし、2枚に分ける。次に、同じように指で皮をはがし、6枚を重ねるように並べて包丁を入れ、包丁の腹を使ってマイ皿にきれいに盛り付ける。

イワシは漢字で「鰯」と書く。「弱い魚」とあるように、小さくてすぐ鮮度が落ちる。生臭くなる。しかし、それがまったくない。抜群に新鮮だった。

 甘みもカツオとは違う。それでいてさっぱりしている。果物とかケーキ、あるいは糖度といった言葉が思い浮かぶ――。

今年のイワシもトレトレだった。前と同じように目の前で皮をはがしてから、切ってマイ皿に盛りつけてくれた。甘い。口に入れるとすぐほぐれる。

イワシの刺し身で晩酌をやりながら、BSプレミアムで大河ドラマ「どうする家康」を見た。地デジよりは2時間早い。第1回なのでまずは様子見を、といった感じでチャンネルを合わせた。

若い徳川家康(松平元康=松本潤)の家臣団が登場する。そのなかに鳥居元忠(音尾琢真)がいた。

あとでドラマのキャストを確認したら、元忠の父・忠吉(イッセー尾形)も出てきた。2人はこれからどう描かれるのか、晩酌時の楽しみが増えた。

というのも、忠吉、元忠は磐城平藩主になった鳥居忠政の祖父と父親だからだ。元忠はのちに、伏見城の戦いで討ち死にする。

戦乱の世を平定し、江戸幕府を開いた家康は、岩城4郡のうち10万石を忠政に与える。忠政は磐城平城を築き、やがて山形へ移る。

鳥居氏についての知識はそこで終わっていたが、大河ドラマで忠義一筋の忠吉~その子どもで忠吉の跡を継いだ元忠~その子どもで磐城平藩主になる忠政、という流れがわかった。

フェイスブックにはさっそく、そうした史実に基づく情報がアップされていた。特に元忠の場合は、平の長源寺に墓がある。こんなときには歴史に詳しい人の情報もまた調べの足しになる。

2023年1月11日水曜日

痛ましい!

                      
 郡山市で1月2日に起きた交通死亡事故が頭から離れない。ニュースで事故の詳細がわかるたびに痛ましい思いが募る。

 グーグルマップのストリートビューで現場を確かめた。事故の第一報は「見通しのよい交差点」だったが、そんな印象はない。浅い皿の底のような交差点だ。

 東方の丘陵地帯に「緑ケ丘ニュータウン」がある。ニュータウンの中央を「美術館通り」が走る。

去年(2022年)、夏井川沿いに田村郡小野町へ駆け上がり、阿武隈高地を縫う県道小野郡山線を利用して郡山市立美術館を訪ねた。小野町は郡山市中田町と接している。しばらく進んで、この美術館通りに折れた。

 同美術館へ向かうと、いつも道に迷う。それはたぶん、阿武隈高地の西側がなだらかな「準平原」で、道があちこちに通じているからだろう。去年は、それがイヤで小野町からの道を利用した。ほぼ間違えずにたどり着けた。

阿武隈高地は福島県の浜通りと中通りを分ける。いわき市は分水嶺の東、急な渓谷のあと、太平洋に向かって平地が広がる。郡山市はその反対側、阿武隈川をはさんだ盆地にある。

 私は15歳まで、この準平原のなかで育った。なだらかなアップダウンとくねくねした細道が、私の「原風景」でもある。

 阿武隈高地の地形を研究した故里見庫男さん(いわき地域学會初代代表幹事)に「残丘」(同学會図書16『あぶくま紀行』所収)というエッセーがある。今回もこれを引用する。

「阿武隈高地は中生代白亜紀後期(八千万年前)に、山地全体が風化作用や河川の浸食などの準平原化作用によってほとんど平坦になってしまった。その後、第三紀における汎世界的な地殻変動によって、四回にわたって間欠的に隆起したことが知られている」

阿武隈高地の東側(いわき市など)では、河川の浸食が復活した。西側は、平坦化した穏やかな風景が広がる。所々に見える山は「残丘」。独立峰で、お椀を伏せたような形の山もある。

郡山市立美術館を起点にすると、事故現場は南東方面の大平(おおだいら)町。北側、つまり阿武隈川の下流側は、曲がりネギで知られる阿久津町だ。

曲がりネギがどんなところでつくられているのか、ドライブを兼ねて阿久津町をうろうろしたことがある。小丘陵と低地が入り組んだところに田畑が広がり、家が建っていた。大平町も同じだろう。

報道によれば、不運に不運が重なった。一瞬にして4人の命が奪われた。その悲しみ、理不尽を思うだけで切なくなってくる。

小学2年生になったばかりの春、阿武隈の町が大火事になって焼け出された。隣家のおばさんが焼死した。それもあって、事故だけでなく、「事故後」のことも気になる。

 年末にいわきの国道6号を利用すると、前方に茶黒い煙がたなびいていた=写真。建物火災だった。

 年が明けて、たまたま海へ行ったときに、現場の前を通った。母屋と物置が焼け落ちていた。

交通死亡事故も、火事も、ヒトゴトではない。自分の身に、家族に置き換えて「なぜ」を考えてしまう。

2023年1月10日火曜日

今度はジョウビタキ?

          
 日曜日は夏井川渓谷の隠居で過ごす。週1回のルーティンだが、行くたびに“発見”がある。そこがおもしろい。

 冬場は毎回、三春ネギを数本、辛み大根を1本収穫する。それが終わると、敷地の境に積み重ねた剪定枝や下の庭を見て回る。

 剪定枝に冬キノコのエノキタケが発生しているかもしれない。庭にはフキノトウが頭を出しているかもしれない。

 エノキタケは冬の初めに確認したが、すでに老菌化していた。以後は姿を見ない。フキノトウは1週間ごとに頭が大きくなっている。

 新年(2023年)は、元日が日曜日だった。年末に田村市の実家で不幸があったので、「りんぼう」ともちは元日当日に飾った。

 いつものルーティンで、三春ネギと辛み大根、それにフキノトウを収穫した。元日には、そんなことをしてはいけないのかもしれないが、ここは正月様に頭を下げるしかない。

 で、その1週間後。つまり、1月8日には家の正月飾りを含めて、隠居の庭のドラム缶で「おたきあげ」をした。

いつものように、三春ネギと辛み大根も収穫した。フキノトウは、「もう少し大きくなるのを待とう」ということで、今回は摘むのを控えた。

隠居の玄関そばにカエデの若木がある。その近くに小さな鳥の羽が散乱していた。全体に灰色っぽい。一部、先端が橙色のものもあった=写真。

前にも鳥の羽がまとまって落ちていたことがある。拙ブログによると、2年前の2月13日の日曜日に、母屋と風呂場をつなぐ坪庭に茶色がかった羽がいっぱいあった。

それから1年半たった去年9月4日の日曜日。菜園と県道側の土手の間に植えてあるアジサイの根元に黒っぽい羽根が散らばっていた。

隠居は、ふだんは人けがない。それを知る猛禽が安心して食堂に利用しているようだ。同一個体か、別々の個体かはわからない。オオタカかどうかもむろん不明だ。

鳥の羽の模様と色から、坪庭のものはツグミらしかった。菜園の方は、ヒヨドリのようだが、キジバトの線も捨てきれない。たぶん、キジバト。そんなところで検索は終わった。

今回はどうか。小さな羽の灰色と、かすかな橙色から連想できる鳥は、ツグミでなければジョウビタキの雄だ。

それをキーワードに検索すると、似たような羽に出合った。やはり(というか、たまたまだが)、ジョウビタキの雄の「上尾筒(じょうびとう)」らしいことがわかった。

断定はむろんできない。が、秋、隠居の庭に真っ先に現れた冬鳥がジョウビタキの雄だった。

見晴らしのいい場所で尾を振り、頭をぴょこっと動かしては、「ヒッヒッ、カッカッ」と鳴く。しかも、そんなに人間を恐れない。割と簡単に写真は撮れるのだが、スズメ並みの小ささだから、拡大するとぼやけてしまう。

庭に現れると楽しいあの鳥が今回は猛禽の犠牲になったか……。しばしそんな感慨にひたった。

2023年1月9日月曜日

スマートIC

                     
 年末、ふるさとの田村市で葬儀があった、息子の車で出かけた。最初、私は自分の車で行くつもりでいたが、カミサンに強く止められた。

では、磐越東線を利用して船引駅で降り、あとはタクシーで向かうか――。そう思っていたら、息子一家も参列するという。ちょうど1人分空きができたので便乗した。

 私は、実家への行き帰りには一般道しか利用したことがない。ルートは主に三つあるが、定番は夏井川沿いに田村郡小野町~田村市に駆け上がり、国道288号に出るルートだ。国道沿いに実家がある。

帰りは国道288号を東進し、双葉郡大熊町で「山麓線」(主要地方道いわき浪江線)に折れる。あるいは、川内村に入って国道399号を利用して小川町に、ないしは県道経由で川前町に抜ける。この逆のルートで実家へ行くこともあった。

 今回はしかし、息子の運転だ。息子に従うことにした。田村市常葉町に入ってからだと、毛細血管のような細道まで頭に入っている。それでも、口出しはしないと決めた。

 磐越道を利用するという。のっけから驚いた。どこで降りるのか。頭にあるのは小野IC(小野町)と三春船引IC(田村市船引町)だ。どちらで降りても、実家まではしばらく一般道を走らないといけない。

 その中間に「田村スマートIC」(田村市大越町)ができたという。カーナビに表示された場所を見ると、実家のまちとはおおむね一つ山をはさんで向かいあっている。ここで降りれば確かに近い。

 ただし、このICは「ETC専用」とあった。つまり、自動で通行料金を支払うETCカードを車に装着していないとゲートは開かない。

 いわき中央ICから「おやっ」の連続だった。ETC専用のゲートをくぐる。常磐道から磐越道に乗り換える。田村スマートICで降りる。

 そこからは国道349号経由で、カーナビに従って田村市常葉町へ向かう。今まで利用したことのない山道に入る。と、峠を越えて大滝根山の西麓に出た。このルートでふるさとに入るのは初めてだ。

 帰りもやはり、田村スマートICから磐越道を利用した。今度は少し余裕ができたので、助手席から市境の案内標識=写真上1=や、「動物注意」の標識=写真上2=などを撮影した。

動物注意の標識はタヌキのほかにイノシシがあった。黄色地の菱形で、あとで高速道の動物標識を検索したら、イノシシにはいろんなデザインがある。いわきのイノシシは「猛進」ではなく、とことこ歩いている姿だった。

 自分が運転しているときは、これらをチラッと目にして通り過ぎるだけだった。助手席に座っていたからこそ、カメラを向けることができた。

 いわき市境の案内標識には「フラガールが生まれた街」とあった。その下にはフラダンスを踊る女性と花。花は「市の花・ツツジ」ではなく、「ハワイ」を連想させるハイビスカスらしい。

2023年1月8日日曜日

薄味の日々

                      
 梅干しが切れたので、道の駅よつくら港へ買いに行った。ここでは「川内村漬物研究会」のラベルが張られた梅干しや味噌漬けを売っている。

 年が明けてすぐ、近くのマルトへ買い物に行った。「初売り」ならぬ「初買い」だ。道の駅での買い物も今年(2023年)初めて、ということになる。

 道の駅は遠距離ドライバーや観光客の休憩場を兼ねるが、地元の人間には暮らしと結びついたスーパーやコンビニとなんら変わりがない。よりローカルな食品が並ぶ。それが目当てだ。

 私は川内村と隣接する阿武隈高地の山里で生まれ育った。梅干しも味噌漬け=写真=も、自分の味蕾に刷り込まれた味が基準になる。

 川内の梅干しは、鮮やかな赤紫色がポイントだ。塩と赤紫蘇だけで味が染み、色が付く。天然の赤い色が食欲を刺激する。

阿武隈の実家では、梅干しではなく梅漬けをつくった。青梅を使った「カリカリ漬け」だが、発色の鮮やかさは川内の梅干しと全く変わらない。

鮮やかな赤紫色を口にする。もちろん、酸っぱい。が、梅干しがあると、なんとなく安心する。しかし、隣家に住んで食事を共にする義弟には、味噌漬けも含めてあまり食べさせられない。

糖尿病になると、食事にいろいろ制限が付く。間食やアルコール、塩分を控える、といったことがその中に含まれる。それで、このごろは義弟の体に合わせて、食べ物が薄味になってきた。

その典型が味噌汁だろう。初めのうちは頭でわかっても、なかなか舌がなじめなかった。が、このごろはすっかり薄味に慣れてきた。「うまい」とはいえないが、「まずい」とも思わなくなった。

その延長かもしれない。冬になって、いつものように白菜を漬けた。私は、子どものころからの習慣で、醤油を注いだ小皿に七味を振って、それに白菜漬けをチョンとつけて食べる。

現役のころ、職場の食堂で仲間と一緒に昼食をとったとき、おかずの白菜漬けを醤油につけたら、1人がびっくりして声をあげた。「漬物なのに醤油につけるの?」

これには、こちらがびっくりした。阿武隈の山里では当たり前の食習慣だと思っていたが、いわきの平地では違っていた。

味噌汁が薄味になったのに合わせて、この冬は、食卓から七味を振った醤油の小皿も消えた。醤油の味も、七味の風味もない、ただの白菜漬けをそのままご飯に載せて食べる。まあ、それが本来の食べ方なのだろうが、これに慣れるにはもう少し時間がかかりそうだ。

ただ、こうした食事の減塩化はやがて周りにもプラスになるのではないか、そんな期待もある。

私自身、高血圧のうえに、血糖値もやや高めなので、義弟に合わせて食事療法をしているようなものだ。それが、やがてデータとして現れればいいのだが……。

2023年1月7日土曜日

ウクライナ民話『てぶくろ』

                             
 わが家の近くに故義伯父の家がある。自宅に収まり切れない本を運んだが、もう置く場所はない。カミサンも主に、子どもが小さいころ買って読み聞かせた絵本を移した。

 年が明けるとすぐ、カミサンが故義伯父の家から絵本を1冊持って来た。エウゲーニー・M・ラチョフ絵/うちだりさこ訳『てぶくろ』(福音館書店)=写真=で、表紙には「ウクライナ民話」、奥付には「1965年発行」「1989年第67刷」とあった。

1989年には、もう子どもは高校生になっていたから、あとで「子ども文庫」用に手に入れたものだろう。

 じいさんが雪の降るなか、森を歩いていて、右の手袋を落とす。すると――。まず、ネズミが手袋を「すみか」にする。次に、カエル。そして、ウサギ、キツネ、オオカミ、イノシシ。最後はクマまで手袋をすみかにする。今風の言葉でいえば、小さな手袋が大きなシェアハウスになった。

 ネットでいろいろ検索しているうちに、ロシアのウクライナ侵攻直後、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)でこの絵本ともう1冊、ロシア民話の『おおきなかぶ』に関心が高まっていたことを知った。

-CASTニュースが3月2日付で取り上げていた。J-CASTとは東日本大震災のあと、縁ができた。取材がしっかりしているので、安心して読める。

それによると、『てぶくろ』には最後に大きなクマが入る。クマはロシアの象徴だ。「穏やかに絵本が楽しめる日々が戻るように」というネット民の声を紹介していた。

 『おおきなかぶ』は家族と動物が力を合わせて、大きなカブを引っこ抜く話だ。これにも「みんなで力を合わせて仲良くしてくれるといいな」という願いがこもっていた。共生・共存と助け合い。庶民の根底にあるのはこれに尽きる。

 それを踏まえて、あらためて『てぶくろ』を開く。最後は、じいさんが落とした手袋を探しに戻る。生きものたちは三々五々、森の中へ消えて、手袋は無事、じいさんの手に戻る。

 『おおおきなかぶ』(福音館書店、1962年)は彫刻家の佐藤忠良画/内田莉莎子再話となっている。こちらは彫刻家の絵が広く知られている。

 やはり、この絵本も故義伯父の家にあった。じいさんが大きく育ったカブを引っこ抜こうとするが、びくともしない。それで、ばあさん、孫娘、犬、猫、ネズミまで手伝って、「うんとこしょ、どっこいしょ」とやって、やっとカブを抜く。

 いわき市立美術館で去年(2022年)の11月5日から12月18日まで、企画展「生誕110年 傑作誕生・佐藤忠良」が開かれた。美術館の広報にはこの絵本の表紙絵が使われていた。私もそうだが、それだけで懐かしく思い出す人がいっぱいいたことだろう。