2023年1月11日水曜日

痛ましい!

                      
 郡山市で1月2日に起きた交通死亡事故が頭から離れない。ニュースで事故の詳細がわかるたびに痛ましい思いが募る。

 グーグルマップのストリートビューで現場を確かめた。事故の第一報は「見通しのよい交差点」だったが、そんな印象はない。浅い皿の底のような交差点だ。

 東方の丘陵地帯に「緑ケ丘ニュータウン」がある。ニュータウンの中央を「美術館通り」が走る。

去年(2022年)、夏井川沿いに田村郡小野町へ駆け上がり、阿武隈高地を縫う県道小野郡山線を利用して郡山市立美術館を訪ねた。小野町は郡山市中田町と接している。しばらく進んで、この美術館通りに折れた。

 同美術館へ向かうと、いつも道に迷う。それはたぶん、阿武隈高地の西側がなだらかな「準平原」で、道があちこちに通じているからだろう。去年は、それがイヤで小野町からの道を利用した。ほぼ間違えずにたどり着けた。

阿武隈高地は福島県の浜通りと中通りを分ける。いわき市は分水嶺の東、急な渓谷のあと、太平洋に向かって平地が広がる。郡山市はその反対側、阿武隈川をはさんだ盆地にある。

 私は15歳まで、この準平原のなかで育った。なだらかなアップダウンとくねくねした細道が、私の「原風景」でもある。

 阿武隈高地の地形を研究した故里見庫男さん(いわき地域学會初代代表幹事)に「残丘」(同学會図書16『あぶくま紀行』所収)というエッセーがある。今回もこれを引用する。

「阿武隈高地は中生代白亜紀後期(八千万年前)に、山地全体が風化作用や河川の浸食などの準平原化作用によってほとんど平坦になってしまった。その後、第三紀における汎世界的な地殻変動によって、四回にわたって間欠的に隆起したことが知られている」

阿武隈高地の東側(いわき市など)では、河川の浸食が復活した。西側は、平坦化した穏やかな風景が広がる。所々に見える山は「残丘」。独立峰で、お椀を伏せたような形の山もある。

郡山市立美術館を起点にすると、事故現場は南東方面の大平(おおだいら)町。北側、つまり阿武隈川の下流側は、曲がりネギで知られる阿久津町だ。

曲がりネギがどんなところでつくられているのか、ドライブを兼ねて阿久津町をうろうろしたことがある。小丘陵と低地が入り組んだところに田畑が広がり、家が建っていた。大平町も同じだろう。

報道によれば、不運に不運が重なった。一瞬にして4人の命が奪われた。その悲しみ、理不尽を思うだけで切なくなってくる。

小学2年生になったばかりの春、阿武隈の町が大火事になって焼け出された。隣家のおばさんが焼死した。それもあって、事故だけでなく、「事故後」のことも気になる。

 年末にいわきの国道6号を利用すると、前方に茶黒い煙がたなびいていた=写真。建物火災だった。

 年が明けて、たまたま海へ行ったときに、現場の前を通った。母屋と物置が焼け落ちていた。

交通死亡事故も、火事も、ヒトゴトではない。自分の身に、家族に置き換えて「なぜ」を考えてしまう。

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