2023年5月11日木曜日

空気が重い

                               
   間もなくスペインへ戻るという日、実家が夏井川の下流域にある画家阿部幸洋がわが家へ遊びに来た。

まだ午後の2時、アルコールで乾杯といきたかったが、宵には会議がある。コーヒーをすすりながら雑談した。

知り合ってから、半世紀がたつ。阿部が平の草野美術ホールで2回目の個展を開いたとき、取材した。私は23歳、阿部は20歳だった。すぐ飲み友達になった。

阿部は結婚と同時に油絵の本場、スペインへ渡ってラ・マンチャ地方の村に住み、奥さん(すみえちゃん)が亡くなったあともひとり、そこで絵を描き続けている。

すっかり向こうの気候風土に体がなじんだようだ。「日本に戻ってくると、空気が重い、(水の中を)泳ぐような感覚になる」

何かの拍子に、そんな話になった。油絵具は乾いた空気のなかで本領が発揮される。日本の湿潤な空気は、油絵には向いていない。だからこそ向こうにとどまって絵を描いている――確か、そういった流れのなかで日本の空気の重さに言及したのだった。

すみえちゃんも生前、同じことを言っていた。阿部とともにスペインから里帰りすると、車の運転手を兼ねてわが家へやって来た。「日本の夏の空気は湿って重い。その中をかき分けて歩くような感じ」

西欧の乾いた空気を知らない人間には、同じ日本の湿った空気に対する反応の違いがうらやましかった。

 スペインの男性は女性の何に「美」を感じるのか、といった話にもなった。周りにいるスペイン人を観察してのことだろう。

彼らがひきつけられるのは「尻(しり)」だという。その理由を、モデルに対する画家のように、クールに説明する。丸い、尻。

 カミサンが「イタリアも同じ、本に書いてあった」とつぶやく。本とは、内田洋子『イタリア発イタリア着』(朝日文庫、2021年2刷)=写真=だ。なかに、イタリア人の「ヒップ信仰」が紹介されている。

 著者は日本のメディアにイタリアの記事を配信している。あるとき、男性誌から特集テーマが提示された。「女性のどこに色気を感じるか」

 イタリア全土に散らばる記者たちと手分けして、さまざまな男性に取材すると、ほぼ全員が異口同音に「おしり」とこたえたそうだ。

 イタリアの女子バレーボールは、スポーツのなかでも抜群に人気が高いという。実力もある。身体は鍛え抜かれ、ユニフォームはヒップラインがいっそう美しく見えるようにデザインされているそうだ。

 ラテン系と言ってしまえばそれまでだが、中南米では尻が丸く大きい女性が多い。大阪万博のとき、初めて尻の大きい女性を見て仰天した。

 女性の尻などはふだん、意識したこともない。スペインの話にイタリアのトピックが加わって、洋の東西でこうも美意識が違うのかと感じ入った。

要は、多様性。どちらがいいという話ではない。金子みすゞのあの詩が思い浮かぶ。「みんなちがって、みんないい」

2023年5月10日水曜日

検索エンジン

                      
 春先、ノートパソコンに新しい検索エンジン「ビング」が加わった。利用するつもりはなかったが、人工知能(AI)の「チャットGPT」に関する情報が、ネットだけでなく新聞・雑誌でも急増したので、どんなものか知りたくなった。

 ビングは「チャットGPTの技術を搭載し、2月に公開された検索エンジン」(朝日新聞)だという。

まず、ビングについて尋ねると、ビング自身が「マイクロソフト社が運営する検索エンジンです」と答える。そのへんから始めてみた。

夏井川渓谷のアカヤシオが満開だったころ、方言を尋ねると、「岩ツツジ」が出るかと思ったら、「アカヤシオ」の答えが返ってきた。ローカルなもの(情報の少ないもの)にはどうやら反応が鈍いようだ。

アカヤシオの次に咲くシロヤシオについても尋ねた。「シロヤシオの木について教えてあげますね」ときた=写真。生態などはウィキペディアから持ってきており、詳細情報もウィキペディアを見るように促す。

「シロヤシオは美しい花を咲かせるだけでなく、木材としても利用されます。(略)家具や工芸品などに適しています」

それは知らなかった。もっと尋ねると、静岡県川根本町で作られているものが有名だという。ふるさと納税の返礼品として川根茶がある。その茶箱がシロヤシオ製らしい。

シロヤシオの分布域も尋ねた。「すみませんが、シロヤシオの分布域については、検索結果が少なくて回答できません」。

そのあと、はずみでシロヤシオが入った詩を要求してみる。「シロヤシオの流れに乗って/遠くまで旅をしたい/海の色は青く澄んで/でも晴れやかになる//シロヤシオは冷たくて/触れるとぞくりとするけれど/それが好きなんだよね(以下略)」

「シロヤシオって山の木だよ」と反論すると、「シロヤシオは山の木ですね。私は海のシロヤシオという暖流のことを思っていました」。暖流? 黒潮、つまりクロシオとシロヤシオがごっちゃになった?

こうして遠いことではなく、近いこと(知っていること)を質問すると、その限界が見えてくる。私自身について聞いた際も、途中からいわき地域学會の仲間とごっちゃになった。

パソコンが一般に普及し始めたころ、検索にはかなり時間がかかった。それを解消してくれたのがグーグルだった。今も私はグーグルの検索エンジンを利用している。それでも、中身(情報)を100%頼る気にはなれない。

チャットGPTにしろ、ビングにしろ、不完全というか、虚偽が混じることを前提に付き合う――現時点ではそんな距離感で対応した方がよさそうだ。

 中国語では、コンピューターを「電脳」と書く。言いえて妙というか、自分の脳とは違う「外部の脳」という受け止めができる。

チャットGPTに関する利用推進と危惧の声が急速に広がったのも、この外部の脳に頼る怖さと表裏をなしているのではないか。基本は、やはり自分の脳で考える、これに尽きると思うのだが。

2023年5月9日火曜日

若いクジラ漂着

                      
 いわき市平の沼ノ内海岸にマッコウクジラが打ち揚げられた。国立科学博物館や大学などの研究者が調べたところ、体長は約7メートルで、比較的若い個体だが、死因は特定できないという。

 海岸にはいろんなものが漂着する。圧倒的に多いのはプラスチックごみだろう。潮流に乗って、あるいは川から流れて来て打ち揚げられる。

 昔、鮫川河口の岩間海岸でコタマガイが採れたことがある。こちらは漂着というより生息だ。図鑑には、ときに波打ち際で大量に発生するが、連続性はない、とある。

夏井川河口の新舞子海岸ではどうか。食欲に誘われて出かけたものの、こちらは貝殻ばかりだった。

いわきの海岸線は砂浜と崖が交互に連続する。その中間あたり、薄磯の砂浜と沼ノ内の漁港とを分ける崖の海食洞に「賽の河原」がある。薄磯と沼ノ内は洞窟(トンネル)でつながっている。その沼ノ内側で震災前、こんなことがあった(拙ブログによる)。

――いわき地域学會の若い仲間が何人かで海岸の地形と植物の勉強会をしていた。沼ノ内漁港の突堤と崖の間には、小さな砂浜がある。砂浜の半分は崖を守るように、波消しブロックとそれを支える大きな砕石が覆っている。その砕石の上にアカウミガメの死骸があった。連絡がきて見に行った。

死後1週間はたっているだろう、という。生気はとうに消えて肉が黒ずんでいる。腐臭があたり一面に漂っている。それで、若い仲間も死骸に気づいたのかもしれない。

地元の人の話では、50~60年前まではそこらあたりにアカウミガメが上陸して産卵した。その遺伝子が「賽の河原」のそばの小さな砂浜へ導いたか。

後日、同じ仲間から電話がかかってきた。「アクアマリンの職員の話では、メスではなくてオスです。ネットで調べると、ウミガメの死骸があちこちに漂着しているようです」

メスとオスとでは解釈が異なってくる。メスであれば、衰弱して狭い砂浜から上陸したのはいいが、産卵場所を見つけられずに砕石の上で息絶えた? オスであれば、漁網に引っかかって水死し、大しけの日に波消しブロックを越えて打ち上げられた?

崖は、上部が照葉樹の緑で覆われている。タブノキの赤い若芽がやけに目立つ。トベラも生えている。

むき出しになった岩は、いわき地方でいう堆積岩の「カチグリ」ではないか。「カチグリ」は風化するとボロボロこぼれる。落下した岩のかけらもある。絶えず崩落が起きているようだ。「賽の河原」の入り口には落石防止の“屋根”があった。

アカウミガメは素人目にも、砂浜を“墓地”にしてねんごろにとむらうしかないのだと分かる。いわゆる廃棄処分だ。哀れなことだが、そうしないことには腐臭はおさまらない――。

 それともう一つ、マッコウクジラの漂着で思い出しことがある。沼ノ内の北隣は平藤間だ。その藤間に「鯨」という地名がある。

エリアとしては旧「かんぽの宿」の東側、藤間沼があるあたりだ=写真。海岸には福島県がつくった「新舞子ビーチ」(海水浴場)があった。ここにも昔は鯨が揚がったのだろうか。

2023年5月8日月曜日

青葉寒

        
 どうもタイミングが悪い。日曜日になると小雨が降る。4月30日は、それで夏井川渓谷の隠居へ出かけるのをよした。

 1週間後の5月7日も、朝起きると雨含みの曇天で車が濡れていた。予報では「弱雨」か「小雨」の一日だ。それが翌8日の昼まで続くという。

 半月も渓谷へ行かないと落ち着かない。カミサンは種苗店で花の苗を買った。早く移植したいようだ。で、きのうの日曜日、雨模様の中を早めに出かけた。

 前線が本州の太平洋側に南下した影響で、上空には冷たい空気が入り込んできた。前日までの夏から一転して、冬に逆戻りしたような寒さだ。

 いわき市南部の山田町では、5月4~6日の最高気温が25.4度、26.5度、29.3度と、3日連続で「夏日」を記録した。ところが、7日は正午現在で17.9度だった。

半そでシャツを着るしかないか――前日までそんなことを考えていたのが、長そでシャツだけではしのげないほどの「青葉寒(あおばざむ)」になった。

 朝、隠居へ出かけるとき、長そでと毛糸のチョッキのうえにジャンパーを羽織った。チョッキは脱ごうかと思ったが、カミサンが「そのままの方がいい」という。

確かに、外気温は低い。車の中もひんやりしていた。暖房をかけても、重ね着が気にならなかった。

2週間ぶりの渓谷は、いちだんと青葉の量が増していた。雨に濡れていたせいもあるのだろう、道の両側から緑がのしかかってくるような印象を受けた。

隠居に着くと、上と下の庭の草がきれいに刈られていた=写真。「こどもの日」に後輩が海寄りの家からやって来て、草刈り機を走らせた。

もう何度も頼んでいる。「注意するところは?」「(上の庭の)辛み大根の花とネギ苗」。これだけで通じる。梅雨どきのような、暴力的な緑の繁殖ではなくても、やはり刈り払われるとせいせいする。

1時間ほど土いじりをして隠居にこもっていると、カミサンが駆け込んできた。「雨が本降りになってきた」。それを合図に道具などを片づけて街へ戻った。

結局、街で買い物をし、弁当も買ってわが家で昼食をすませた。電気マットをオンにしないと寒い。たった一日で「夏日」が「冬日」に切り替わる。これが春の大型連休最後の日だ、なんて……。

夕方はいつもの魚屋さんへカツオの刺し身を買いに行った。晴れれば「目には青葉山ほととぎす初鰹」(山口素堂)のさわやかな情景が染みるのだが、とにかく寒い。

「きょうはお湯割りだな」。そんなことを思いながら、今年(2023年)のカツ刺しの回数を数えてみた。1回目は2月23日だった。季語としての「初鰹」までにもう10回以上食べている。

魚屋さんからの帰り、カミサンがコンビニでおでんを買った。何日かぶりで茶の間の石油ストーブも点火した。とにかく家の中にいても、体温を下げない工夫が要る――そんな青葉寒の一日だった。

2023年5月7日日曜日

栃木県民といえば

                                
 栃木県民といえば、真っ先に思い浮かぶのはキノコのチチタケ。チチタケは食菌だが、煮ても焼いてもボソボソしてうまいとはいえない。ところが、これを栃木県民は殊の外、喜んで口にする。

 いわきキノコ同好会が発足して間もないころ、栃木県までその「秘密」を探りに行った会員がいる。同県民が好むのは「ちたけうどん」。ポイントはチチタケを油で炒めることだった。炒めるとよいだしが出る。

 栃木県からもたらされた調理法が同好会内に広まり、わが家でも震災前は「ちたけうどん」が夏の定番になった。

 調理はいたって簡単だ。採ってきたチチタケを水に入れてごみと土を取り、刻んでナスと一緒に炒めて醤油で味付けをする。これに水を加えて加熱すると、得も言われぬスープになる。わが家に来た外国人女性に「ちたけうどん」をふるまったら、絶賛された。

 原発事故が起きてからは知らないが、それまでは夏場、いわき市南部を中心に「栃木」ナンバー(その後、「宇都宮」「とちぎ」「那須」に変更)の車が山道に止まっていた。

 同好会の観察会に参加したときに遭遇した。「チチタケ採りだな」。同好会の会員には、理由はお見通しだった。

 そのころ、福島県内でキノコ採りの遭難事故がニュースになることがあった。栃木県民であれば、チチタケ採りとみて間違いなかった。

栃木県内だけでは間に合わなくなったのだろう。7~8月になると、いわき市の山はもちろん、中通り、あるいは会津の山へとチチタケ採りがやって来る。それに合わせて遭難事故も増えた。

さて、「いわきキノコ同好会会報」第28号が3月末に発行された=写真。元郡山女子大学の広井勝さんが、「栃木県民のチチタケの嗜好性について」と題する論考を寄稿した。

論考は、「食生活研究」第41号(2021年)に掲載されたものを、会報用に改訂したものだという。

栃木県のある高校の父母・教員を対象にアンケート調査を行い、比較のためにチチタケに詳しい栃木県きのこ同好会メンバー(22人)にも同様の調査をした。

それによると、チチタケを「食べたことがある」のは7割強(同好会のメンバーは全員)で、食べたことのある人の8割強がチチタケを「好き」と答えている。

理由は、半数近くが「よいだしが出るから」だった。「うどんによく合う」も加えると、6割がだしのよさを挙げている。

食べるようになったきっかけは、「昔から、子供の頃から」が半数近くあった。古くからチチタケの存在が身近にあり、食べる機会が多かったのだろうと、広井さんは推測する。

 入手方法は、意外といえば意外だった。「人からもらう」が7割近くで、「自分で採る」は2割弱。同好会のメンバーは6割が「自分で採りに行く」だった。

 出始めのころ、デパートなどでは「5~6個で3000円の値段で売られていた」という。これには驚いた。栃木では、チチタケは特別な食菌であることが、あらためてアンケート調査からわかった。

2023年5月6日土曜日

わが家も夏日

                      
 「みどりの日」は晴れただけでなく、風もなく、次第に気温が上がった。午前中は背広を着て、近所の神社の例大祭に出席した。

 昼前に帰宅したあとは、いつもの長そで、毛糸のチョッキに着替えたが、熱がすぐ体内にこもった。

 チョッキを脱ぐ。シャツをまくる。時間を追って汗を抑える手立てが増える。こたつも電気マットはオフにしているが、カバーが熱を逃がさない。ときどきカバーを上げて空気を入れ替えた。

 茶の間のガラス戸も、玄関の戸も開けて、風が通り抜けるようにしたが、空気はそよとも動かない。

 夕方、注文を受けた米を配達する。両側に広がる水田の先に集落がある。その一角のカレー料理店が配達先だ。午前中の祭典では、神社周辺で田植えが進んでいる話を聞いた。こちらでもだいぶ田植えが終わっていた。

 帰って、少したってから茶の間の置時計を見る。午後6時を過ぎたというのに、室温は25度を超えている=写真。いわき市南部の内陸・山田町では、午後1時にこの日最高の25.1度を記録した。わが家も早い時間から夏日になった。

 同じころ、ノートパソコンの画面付近を飛び回る虫が現れた。パチッとやると、アカイエカらしかった。そのうち、こめかみと左手の親指付け根あたりでかゆみを感じた。

 その年初めて蚊に刺された日を記録している。5月4日付のブログでも触れたが、「初めて刺された日」は5月20日ごろだった。それが近年、早まりつつある。

今年(2023年)は4月下旬に初めて蚊が現れた。「みどりの日」は気温が上がった。チクッとやられてもおかしくない、と思っていたら、その通りになった。

いずれにしても、5月4日のチクリは早すぎる。まずは庭にある鉢にたまった水を捨てる。そこがボウフラの温床になる。鉢をカラにすることで少しはチクリとやられる回数が減るはずだ。

地球温暖化が進んで、蚊の産卵が早まっただけではない。孵化(ボウフラ)~蛹~羽化のサイクル期間が延びて、「最後に刺された日」も、このごろは10月20日ごろから11月にずれこんできた。

わが家ではふだん、黄土色の蚊取り線香を使っている。人間ののどを刺激することはない。が、蚊の出現期間が長くなって、それだけでは間に合わなくなった。

去年(2022年)がそうだった。テレビのコマーシャルでおなじみのやつを買って来た。においがきついので、人間の近くには置けない。

その蚊取り線香が残っていた。人間ののどには影響のない、玄関の入り口に置いた。それでようやく、目の前を飛び回る蚊が消えた。

「こどもの日」も朝から晴れて気温が上がった。室温が25度を超えた10時過ぎから、目の前をちらつく虫がいる。庭からやって来たヤブカのようだった。これはたまたまらしく、間もなく姿を消した。昼間から蚊取り線香を焚くことは、さいわいなかった。

2023年5月5日金曜日

4年ぶりの通常祭典

                     
 大型連休が始まっても、年金生活者にとっては「毎日が日曜日で月曜日」だ。現役のころのような「平日」と「休日」の違いはなかなか実感できない。パンデミックがそれに拍車をかけた。

 ところが――。新年度がスタートして1カ月ちょっと。コロナ禍で3年にわたって中止したり、規模を縮小したりしてきた行事が、どうやら通常開催に戻りつつある。

 地元の神社も、4年ぶりにいつもの流れで祭典を催すことになり、その旨の案内状が4月に届いた。

 案内状によると、例大祭は、新型コロナウイルス感染症のまん延を受けて、3年にわたって規模を縮小してきた。感染症が鎮まりつつあり、政府の対策が緩和されてきた状況を踏まえて、感染に留意しながら、恒例の例大祭を斎行(さいこう)する、とあった。

例大祭は春の大型連休中に行われる。近隣の区長も来賓として祭典(神事)に出席する。この3年間、来賓は出席を見合わせてきた。

区長を引き受けて以来、大型連休を利用してどこかへ出かける、ということはなくなった。コロナ禍の3年間はそれができたとしても、遠出を控えたので、結局は同じことだった。

祭典に出席した4年前を振り返る。そうでないと、行事の流れがつかめない。背広に白いワイシャツ、ネクタイ、革靴。葬式以外に正装するのは、それこそ4年ぶりだ。これを前日までにそろえる。

「お祝い」も持っていく。わが家にあるのし袋にはなぜか「寿」が書いてあった。カミサンに見せると、「それは結婚式用」と言いながら、一般の「御祝い」用を出してきた。

 当日、「みどりの日」の朝6時、頭上で花火が2発鳴った。川向こうからも聞こえてきた。「祭りを開催しますよ」という合図だ。祭典が始まるのは午前10時。これは従来と変わらない。

祭典から直会(なおらい)の流れは頭に入っている。とはいえ、コロナ禍が消えたわけではない。直会による飲食は差し控え、「直会の粗肴」を手渡しするという。マスクなしの「三密」は避ける、という判断からだ。

 もう一つ、コロナ禍前と違って、神輿(みこし)渡御はトラックでの巡行となった。これも三密回避の自衛策ということらしい。

午後遅く、地域を巡行してきた神輿は、わが家から1軒隣の歯医者さんの駐車場に鎮座した=写真。全員が車で移動していることもあるのだろう、「ワッショイ」のない小太鼓だけの、なんとも静かなサカムカエ(酒迎え)だった。

 これから地区の行事も「4年ぶり」というのが増えてくる。コロナ禍の前と後では、しかし何かが変わった、少子・高齢社会がそれに拍車をかける――そんな思いが芽生えつつあるのを否定できない。