いわき市平の沼ノ内海岸にマッコウクジラが打ち揚げられた。国立科学博物館や大学などの研究者が調べたところ、体長は約7メートルで、比較的若い個体だが、死因は特定できないという。
海岸にはいろんなものが漂着する。圧倒的に多いのはプラスチックごみだろう。潮流に乗って、あるいは川から流れて来て打ち揚げられる。
昔、鮫川河口の岩間海岸でコタマガイが採れたことがある。こちらは漂着というより生息だ。図鑑には、ときに波打ち際で大量に発生するが、連続性はない、とある。
夏井川河口の新舞子海岸ではどうか。食欲に誘われて出かけたものの、こちらは貝殻ばかりだった。
いわきの海岸線は砂浜と崖が交互に連続する。その中間あたり、薄磯の砂浜と沼ノ内の漁港とを分ける崖の海食洞に「賽の河原」がある。薄磯と沼ノ内は洞窟(トンネル)でつながっている。その沼ノ内側で震災前、こんなことがあった(拙ブログによる)。
――いわき地域学會の若い仲間が何人かで海岸の地形と植物の勉強会をしていた。沼ノ内漁港の突堤と崖の間には、小さな砂浜がある。砂浜の半分は崖を守るように、波消しブロックとそれを支える大きな砕石が覆っている。その砕石の上にアカウミガメの死骸があった。連絡がきて見に行った。
死後1週間はたっているだろう、という。生気はとうに消えて肉が黒ずんでいる。腐臭があたり一面に漂っている。それで、若い仲間も死骸に気づいたのかもしれない。
地元の人の話では、50~60年前まではそこらあたりにアカウミガメが上陸して産卵した。その遺伝子が「賽の河原」のそばの小さな砂浜へ導いたか。
後日、同じ仲間から電話がかかってきた。「アクアマリンの職員の話では、メスではなくてオスです。ネットで調べると、ウミガメの死骸があちこちに漂着しているようです」
メスとオスとでは解釈が異なってくる。メスであれば、衰弱して狭い砂浜から上陸したのはいいが、産卵場所を見つけられずに砕石の上で息絶えた? オスであれば、漁網に引っかかって水死し、大しけの日に波消しブロックを越えて打ち上げられた?
崖は、上部が照葉樹の緑で覆われている。タブノキの赤い若芽がやけに目立つ。トベラも生えている。
むき出しになった岩は、いわき地方でいう堆積岩の「カチグリ」ではないか。「カチグリ」は風化するとボロボロこぼれる。落下した岩のかけらもある。絶えず崩落が起きているようだ。「賽の河原」の入り口には落石防止の“屋根”があった。
アカウミガメは素人目にも、砂浜を“墓地”にしてねんごろにとむらうしかないのだと分かる。いわゆる廃棄処分だ。哀れなことだが、そうしないことには腐臭はおさまらない――。
それともう一つ、マッコウクジラの漂着で思い出しことがある。沼ノ内の北隣は平藤間だ。その藤間に「鯨」という地名がある。
エリアとしては旧「かんぽの宿」の東側、藤間沼があるあたりだ=写真。海岸には福島県がつくった「新舞子ビーチ」(海水浴場)があった。ここにも昔は鯨が揚がったのだろうか。
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