2024年5月9日木曜日

小説『長いお別れ』

                              
 前にお笑いタレント矢部太郎さんが描き下ろした『マンガぼけ日和』を取りあげ、英語では認知症を「ロング・グッドバイ」(長いお別れ)と呼ぶ、ということを紹介した。

 ロング・グッドバイに触発されて検索を続けた。まずは中島京子さんの小説『長いお別れ』(文藝春秋、2015年)=写真=がヒットした。実体験を踏まえた小説だという。

 『焼け跡のハイヒール』で知られる作家盛田隆二さんも、ノンフィクション作品『父よ、ロング・グッドバイ 男の介護日誌』(双葉社、2016年)を書いていた。

アメリカではアルツハイマー型の認知症を「ロング・グッドバイ」と呼ぶことがある――。盛田さんは中島さんの小説で初めてそれを知ったことを、「まえがき」で明かしている。

となると、「マンガぼけ日和」の次はこの二つの作品だ。どちらも市の総合図書館にあったので、借りて読んだ。

私も、認知症をロング・グッドバイと呼ぶと知ったときには驚いた。認知症を見直さないといけない、とさえ思った。

でも、医学用語としては「ロング・グッドバイ」のはずがない。正式にはなんというのだろう。検索を続け、2冊の本を借りて読んだのも、それを探るためだった。

『長いお別れ』は9編の連作短編集だ。最後の「QOL」にその答えがあった。父親が認知症を発症してだいぶたつ。3人の娘のうち、長女はアメリカで暮らしている。

その次男がミドルスクールに進学した。ところがほどなく、無断欠席をするようになった。さぼって転校生の家に入り浸っていたのだった。

校長先生が転校生の家で遊びほうけていた子どもたちを一人ひとり、校長室で面接することにした。

「なんでもいいから君のことを話してほしい」。校長室にやって来た次男は、10年に及ぶ認知症の末に祖父が2日前に亡くなったことを語った。

それからこんなやりとりが続く。「ずっと病気でした。ええと、いろんなことを忘れる病気で」「認知症(ディメンシア)か」

次男も、読者である私も、認知症を「ディメンシア」ということを初めて知る。そして、そのあとに校長先生が付け加える。

「十年か。長いね。長いお別れ(ロンググッドバイ)だね」「なに?」「『長いお別れ』と呼ぶんだよ、その病気をね。少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行くから」

このくだりに触発されて、盛田さんは自分の介護体験記に「ロング・グッドバイ」を使った。私もまた、「ディメンシア」に関する検索を重ね、専門的な説明に触れた。

たとえば、『マンガぼけ日和』に出てくる「中核症状」だが、これは脳の働きの低下によって起きる記憶障害や判断障害などを指すという。

小説を読み、検索を重ねるたびに、認知症は「敵」ではない――そんな意識に変わっていく。

2024年5月8日水曜日

みこし渡御

                     
 なんというか、これもメリハリのひとつなのかもしれない。4月の終わりから5月初めの大型連休に、背広を着てネクタイを締める日がある。

 今年(2024年)は、前半が4月27~29日、後半が5月3~6日と休みが分かれた。平日も含めると、5月1日は回覧資料を配り、翌2日は私用で出かけ、4日には地元の立鉾鹿島神社の祭典に出席した。6日には所属する団体の仕事をした。

 新型コロナウイルスが猛威を振るっている間は、祭典の規模を縮小し、招待の案内がなかったこともあって、大型連休もただ家にこもってやり過ごすだけだった。

 去年から祭典への招待が復活した。わが家から神社までは歩いて10分もかからない。自宅前の旧道からまっすぐ北へ古い参道が伸びる。

 鳥居と本殿の間にはJR常磐線が通っている。例大祭の日だけはここをみこしが渡った。それで、JRの職員が線路に立って安全を確保した。

平成25(2013)年に初めて線路、いや「参道」を通って祭典に出席したときの様子をブログに書いた。それを抜粋・再掲する。

――拝殿で祭典を執り行ったあと、みこしがためらうことなく目の前の線路を横切って行った。

わが家の前の道路は、近世には「浜街道」、明治になってからは「陸前浜街道」(旧国道6号)と呼ばれた。

わが家の斜め向かい、旧道沿いの参道入り口に神社名が刻まれた石標が立つ。それからまっすぐ250メートルほど伸びた参道の奥に一の鳥居がある。二の鳥居は線路の向こう、社務所のわきに立つ

 同神社は、大同2(807)年以前には創建されていたことが、社伝からわかるという。社殿が現在地に落ち着いたのは、江戸時代以前の天正5(1577)年。

明治30(1897)年、常磐線の線路がその参道を横切って設けられた。ハレの日に堂々とみこしが線路を渡っていくのは、そこが参道だから当然か。

 明治になって日本の近代化の一翼を担った鉄道だが、神社のハレの日にはもとの参道に戻る。JR関係者2人が線路に立って、みこしの渡御を見守った――。

 このみこしが、去年に続いてトラックでの巡行となった。線路を渡らずに、西側の新しい参道を利用して域内を巡行する。

 わが家の近くでサカムカエが行われる。やって来るのは午後遅く。太鼓の音が聞こえ、やがてトラックに乗ったみこしが到着する。

道路向かいの郵便局駐車場からサカムカエの場所まで青年がみこしを担ぐ=写真。コロナ禍前は旧道を「ワッショイ、ワッショイ」とやったものだが、青年の数も少なくなったようだ。

これも少子・高齢社会の一断面なのだろう。地域の伝統行事をどう守り、どう維持していくのか――関係者の胸中が察せられる「時代の変化」ではある。

2024年5月7日火曜日

雑誌を買う

                                
 年金生活に入ってからはよほどのことがない限り、本も雑誌も買わなくなった。代わりに図書館の新着図書や古くなった雑誌を借りる。

 それでも手元に置きたい、あるいは読みたいのに図書館にない、といったときには本屋へ足を運ぶ。

 SNSで「ナショナルジオグラフィック日本版」の4月号が目に留まった。表紙にオオトガリアミガサタケの写真が載っている。その下に「不思議いっぱい菌類の世界」という文字が躍る。

 カミサンを乗せていわき市暮らしの伝承郷へ行ったついでに、鹿島ブックセンターへ寄った。新書や単行本を眺めているうちに、「ナショナルジオグラフィック日本版」4月号を思い出す。

雑誌コーナーへ行くと、あった=写真。迷わず買う。ナショナルジオグラフィックだから、どちらかというと写真が主だ。今度の特集でも、意想外なアングルとライティングの写真がほとんどだった。

とはいえ、雑誌の性格からして、菌類は最初のおよそ30ページ、全体の4分の1ほどだ。ほかにも「砂漠にできたファッションの墓場」がある。それは16ページに及ぶ。

さて、菌類の記事は――。4章仕立てだ。「前書き」に当たる部分では、「私たちが知る地球上の植物や動物の多くが菌類なしでは存在できない」と記す。

そして、第1章「自然界の奇妙なヒッチハイカー」。この100年ほどで人と物の移動がかつてなく活発になった。

「菌類も植物の輸送に便乗したり、風に乗って遠くに運ばれたりして、地球規模の旅に出た」

気候変動のおかげで、「以前は気温や湿度が低すぎて定着できなかった地域で大いにはびこっている」。

第2章「謎に包まれた菌界」。「科学者は菌類を系統樹で独立した界(菌界)に分類しているものの、その大半の種をまだ知らない」

第3章「人体に潜む菌類」では、薬用キノコなど、人類の味方にも敵にもなり得る生物としての菌類を紹介し、「菌類を医療に生かす研究の進展を占ううえで、参考になるのはペニシリンの登場だ」と、新しい成果に期待を寄せる。

驚いたのは、最後の第4章「未来のファッションを育てる」だ。「アパレルの世界では、菌糸を利用した人工皮革『キノコレザー』など、環境にやさしい新素材が生まれつつある」という。

オランダのある企業は液体培養技術で菌糸体を育て、バッグや服、ランプシェードも作っている――そんなところまできた。

文学や思想などを扱う芸術総合誌「ユリイカ」が、2022年5月号で「菌類の世界――きのこ・カビ・酵母」を特集した。

そのなかで、アメリカではキノコの胞子を植えつけた「きのこスーツ」を着て埋葬された俳優がいた、オランダではキノコの菌糸体を原料にした「生きた棺」が開発された、といったことが紹介されていた。

ナショジオの第4章とユリイカの「きのこスーツ」や「生きた棺」はどこかで重なり合い、連動しているのではないだろうか。

2024年5月6日月曜日

ブロックと菜の花

                     
 夏井川の堤防を通るのは、ほぼ1週間ぶりだった。新年度が始まって1カ月余り。区内会その他の用事が続いて、街の図書館などへ行くヒマがなかった。

 4月に入ると、堤防は菜の花で黄色く染まった。土砂除去工事が続く右岸でも、波消しブロックの間から茎がのびて花を咲かせていた=写真。

 そのブロックの花が、5月2日に見ると消えていた。こちら側(左岸)の堤防の黄色もだいぶ色あせて、少なくなっていた。

田んぼも水が張られ、大型連休が終わるころには、神谷耕土もおおむね青田に変わる。それはいつもの光景だが、菜の花を咲かせたブロックは初めてだった。

ブロックの形が変わっている。人によっては大きく口を開けたカバに見えるらしい。アルファベッドでいう「C」のように湾曲している。

 検索をかけると、いろんな形状の波消しブロックが現れた。よく知られたのは截頭円錐(せっとうえんすい)体のテトラポッドだ。登録商標なので、メディアでは「波消しブロック」と言い換える。

「Ⅽの字」ブロックは、製品名が「ジュゴン」。護岸の消波工、河川の根固めに使う、とあった。これも書くときには「波消しブロック」だろう。球面体なのでやわらかい感じがし、周りの景観に調和する、ともあった。

 土砂除去から始まって、堤防には護岸ブロックが施され、その手前にジュゴンが整然と並べられた。それが最終形態かどうかはわからないが、大水から堤防を守る備えにはちがいない。

 さて、1週間ぶりに堤防を通って気づいた「変化」がもう一つある。「川中島」だ。北白土(右岸)側は堤防の基礎部分まで土砂が撤去されて、一見「大河」の風情を醸し出す。

 ところが、もともと水量が少ないこともあって、夏井川は平地の下流域に入ると勢いが減衰し、「川の3作用」(侵食・運搬・堆積)に従って、浅瀬に砂がたまる。

 それだけではない。田植えの時期を迎え、夏井川両岸の田んぼに川から水が引かれる。なおさら本流の水量と勢いが失われる。

 これまでにも田植えの最盛期を迎えると、夏井川は各所で「川中島」ができた。

 その夏井川で旧建設省の「ふるさとの川」整備事業が行われたのはいつだったろう。30年以上前だったのではないか。

親水空間をつくるのが目的で、鎌田地区では川幅が広げられ、広場や階段が設けられた。

が、結果として「川中島」ができた。中島にはやがて草が生え、ヤナギの木が茂った。

 鎌田の下流、平・山崎(右岸)では堆砂除去と県道付け替え工事、河川拡幅工事が行われた。野球場が2面も取れるような河川敷になった。

しかし、それもつかの間、一面に草が茂り、岸辺にはびっしり若いヤナギ林が形成された。

そして、令和元年東日本台風による災害復旧・強じん化工事によって、大々的に土砂除去工事が行われた。

川中島が常時見られるようになると、流れは二つに分断される。いずれはまた土砂が堆積する。そのことは覚悟しておくべきなのかもしれない。

2024年5月2日木曜日

やっぱり蚊だ

                     
 4月下旬のことだ。知り合いがフェイスブックに蚊の写真を載せた。そのあとまた、別の人間が蚊の写真をアップした。蚊に刺された最初の日の記録だとすると、今年(2024年)もだいぶ早い。

 まさか4月にはないだろうと思っていたのだが……。最後の最後、30日になって目の前を飛び回るのをバシッとやったら、蚊だった=写真。

 実はその何日か前、カミサンが「庭で土いじりをしていたら刺されたらしい」といっていた。そのあと、といっても29日未明だが、寝床に蚊が現れて額をチクリとやったようだった。

毎年、初めて蚊に刺された日を記録している。去年は4月下旬に出現し、5月4日にチクリとやられた。

記録によると、2012年は5月15日、2013年は同26日、2014年は同25日。2015年は同14日だった。

ちょっと前までは、平均すると刺された最初の日が5月20日前後、最後の日が10月20日前後と覚えておけばよかった。

去年、今年と「平年」よりはかなり早く出現した。というより、蚊に刺される心配のない期間が年々狭まっている。

最後に刺された日も10月20日前後から11月にずれ込んだ。2016年は10月27日だったが、2018年は11月6日、2022年は11月後半の19日だった。

 4月30日にバシッとやったあと、右手の甲が少しかゆくなった。たぶん蚊に刺されたのだ。カミサンの情報、フェイスブックの情報を加味して、今年は4月30日を蚊に刺された最初の日として記録に加えることにした。

 このとき、室温は25度。玄関の戸は開いていた。茶の間のガラス戸は、4月ではまだ開ける気にはなれない。代わりに着ているものを、寒暖の動きに合わせて脱いだり、はおったりする。

半そででは時間帯によって寒くなるので、長そでをまくってしのぐ。毛糸のチョッキに代わって、薄手のベストに替えたが、それでも急に寒くなるとこたえる。

 去年の晩秋まで使っていた缶入りの蚊取り線香が、座いすの後ろにある。11月になっても蚊が飛び回っていたので、ガラス戸のそばからちょっと隅っこにずらしておいた。

 まだ去年の線香が残っている。それを使いながら、新しい蚊取り線香を調達する。ホームセンターやスーパーにはもう、目立つところに蚊取り線香の缶や箱が置いてある。

 晴れた日には茶の間にも熱がこもるようになった。それを防ぐために、座いすの後ろのガラス戸を開ける。

 すると、チョウも蚊も入ってくる。蚊を避けるために線香を焚く。それがまもなく始まる、と自分に言い聞かせる。

地球温暖化は地域温暖化。蚊の活動している期間が長くなっていることからも、それがわかる。

2024年5月1日水曜日

オナガが現れる

                     
 夏井川渓谷の森は早くも初夏の装いに変わった。隠居の玄関前にあるコバノトネリコ(アオダモ)が淡い緑の葉をつけ、円錐状に白く小さな花のかたまりをつけている=写真。

 大型連休前半が終わった。とはいえ、毎日が日曜日で月曜日のような年金生活者には、連休の感覚はない。現に区内会その他の仕事や用事が続く。

 それでも、日曜日には気分転換が欠かせない。4月28日の朝、夏井川渓谷の隠居へ出かけた。

 滞在時間は正午までの2時間ちょっとだったが、その間ずっと鳥の声が耳に飛び込んできた。

 いつもは平地の夏井川の堤防でウグイスの初音を聞き、ツバメの飛来を目撃する。

しかし、この何年か平地の川では土砂除去と強じん化工事が続き、岸辺の木々と河原のやぶが姿を消した。すると、ウグイスのさえずりも消えた。

 それもあって、今年(2024年)のウグイスの初音は渓谷で聞いた。ツバメは隠居へ行く途中、平窪あたりで遭遇した。

渓谷に定着した籠抜け鳥のガビチョウ(中国原産)は、4月前半はまだ静かだった。ところが、4月最後の日曜日はどうだ、ひっきりなしにさえずり、それに負けまいとウグイスもさえずる。

ほかの鳥もさえずっていたようだが、ガビチョウのやかましさにかき消されて、よくわからなかった。

そうこうしているうちに、少し大きな鳥が隠居の坪庭のカリンの木に止まった。オナガ(尾長)だった。私は居間にいた。

その距離ざっと4メートル。枝に止まって黒い頭、青白い体と長い尾を見せたかと思うと、すぐ飛び去った。もう1羽が付き添うように後を追っていった。

拙ブログにオナガを見たときの記録が残っている。東日本大震災のほぼ1カ月前、平地の夏井川の堤防を散歩していたときに、河原のヨシ原に止まっていたのを目撃した。その記録を要約・再掲する。

――オナガはカラスの仲間だ。昔は、いわきにはいなかった。関東から移動してきた。

私が初めて目撃したのは1990年代だったように記憶する。黒い頭、淡い灰褐色の背中、青灰色の翼と尾。この尾が長いので、オナガ。色の組み合わせがいい。しゃれている。

いつも同じところにいる、という鳥ではないようだ。いわき駅裏の物見ケ岡、夏井川渓谷、新舞子の海岸林、夏井川下流の河畔林と、さまざまな場所で見かける。

しかし、それは3カ月ぶり、半年ぶり、そんなサイクルでのこと。一度現れると、しばらくは姿を見せない――。

 渓谷でオナガを目撃したのも久しぶりだ。通い始めて30年近く。夏鳥のアカショウビンの鳴き声を一度だけ聞いたことがある。それと同じように、めったに現れない鳥ではある。

 そうそう、初夏の鳥の声でいえば、カッコウの鳴き声が消えてだいぶたつ。カッコウはオオヨシキリなどに托卵する。

 震災の年の夏、夏井川の堤防で、それこそ久しぶりに「カッコー、カッコー」の声を聞いた。その後はまた沈黙したままだ。この喪失感はどうしようもない。

2024年4月30日火曜日

小商圏チェーン店

                     
 先日、県紙も全国紙も1面トップで自治体の「消滅可能性」を報じていた。少子・高齢社会の行き着く先は、人口減による自治体の消滅? その可能性のある自治体は、福島県の場合は約7割の33市町村に及ぶそうだ。

 たとえば、わがふるさとの阿武隈高地にある田村市や三春町、小野町などもこの中に入る。

 夏井川渓谷の小集落に隠居がある。空き家を含めて戸数は10戸ほどだ。住民は「ここは限界集落だよ」と自嘲する。

 自治体うんぬんの前に、それを構成する個々の集落の消滅可能性が現実問題として横たわっている。そうした現実を踏まえて店舗を展開しているのだろうか。

いわき市川前町の山里に住む人がときどき、わが家へやって来る。日常の買い物は小野町ですませる。その店の一つがドラッグストアの「薬王堂」だという。

日曜日(4月21日)に小野町へ駆け上がり、あぶくま高原道路の延伸部分を初乗りしたとき、町なかに薬王堂があった。そこへ寄って、義弟から頼まれていたサンダルなどを買った。

昔からの商店街(シャッターやカーテンの閉まっている店がある)の一角に、急に大きな駐車スペースが現れたので、見ると薬王堂だった。

郊外に立地する大型店は、とにかく駐車場が広い。こちらは町なかなので、コンビニよりはちょっと駐車場が広い、といった感じだろうか、

店を見た瞬間に思い浮かんだのは、わが家から1キロも離れていない旧道沿いにオープンした、同じドラッグストアの別のチェーン店だ。

薬王堂は主力の医薬品のほかに、化粧品、衣料品、日用品、食品も売っている。あとで調べたら、「小商圏チェーン店」として店舗を展開している、とあった。

なるほど、そういうことか。昔は、阿武隈の山里にも駐車スペースをたっぷりとった郊外型の大型店が客を集めた。

しかし今や過疎、そして少子・高齢社会が進行し、「大商圏」は現実的ではなくなった? いや、想定商圏は同じでも、人口減から客の購買力が落ちた? そう考えると、「小商圏チェーン店」が一つの答えにはなるのかもしれない。

いわき市の中心市街地はいわき駅前だが、日常生活を軸に考えれば、住んでいるそこが中心になる。中心と周縁ではなく、どこも中心。という意味でいえば、川前の山の手、小白井や桶売は小野町との結びつきが深い。

病院も、買い物も、いわきの中心市街地よりは最寄りの小野町へ――。小白井を通る県道小野富岡線~同吉間田滝根線があぶくま高原道路と接続され、長短二つのトンネル=写真=をくぐると、そこは郊外店が立地する小野町IC付近だ。桶売からも山あいの道路を利用すると、磐越東線夏井駅前に出られる。時代は「小商圏」へと移行している?