なんというか、これもメリハリのひとつなのかもしれない。4月の終わりから5月初めの大型連休に、背広を着てネクタイを締める日がある。
今年(2024年)は、前半が4月27~29日、後半が5月3~6日と休みが分かれた。平日も含めると、5月1日は回覧資料を配り、翌2日は私用で出かけ、4日には地元の立鉾鹿島神社の祭典に出席した。6日には所属する団体の仕事をした。
新型コロナウイルスが猛威を振るっている間は、祭典の規模を縮小し、招待の案内がなかったこともあって、大型連休もただ家にこもってやり過ごすだけだった。
去年から祭典への招待が復活した。わが家から神社までは歩いて10分もかからない。自宅前の旧道からまっすぐ北へ古い参道が伸びる。
鳥居と本殿の間にはJR常磐線が通っている。例大祭の日だけはここをみこしが渡った。それで、JRの職員が線路に立って安全を確保した。
平成25(2013)年に初めて線路、いや「参道」を通って祭典に出席したときの様子をブログに書いた。それを抜粋・再掲する。
――拝殿で祭典を執り行ったあと、みこしがためらうことなく目の前の線路を横切って行った。
わが家の前の道路は、近世には「浜街道」、明治になってからは「陸前浜街道」(旧国道6号)と呼ばれた。
わが家の斜め向かい、旧道沿いの参道入り口に神社名が刻まれた石標が立つ。それからまっすぐ250メートルほど伸びた参道の奥に一の鳥居がある。二の鳥居は線路の向こう、社務所のわきに立つ
同神社は、大同2(807)年以前には創建されていたことが、社伝からわかるという。社殿が現在地に落ち着いたのは、江戸時代以前の天正5(1577)年。
明治30(1897)年、常磐線の線路がその参道を横切って設けられた。ハレの日に堂々とみこしが線路を渡っていくのは、そこが参道だから当然か。
明治になって日本の近代化の一翼を担った鉄道だが、神社のハレの日にはもとの参道に戻る。JR関係者2人が線路に立って、みこしの渡御を見守った――。
このみこしが、去年に続いてトラックでの巡行となった。線路を渡らずに、西側の新しい参道を利用して域内を巡行する。
わが家の近くでサカムカエが行われる。やって来るのは午後遅く。太鼓の音が聞こえ、やがてトラックに乗ったみこしが到着する。
道路向かいの郵便局駐車場からサカムカエの場所まで青年がみこしを担ぐ=写真。コロナ禍前は旧道を「ワッショイ、ワッショイ」とやったものだが、青年の数も少なくなったようだ。
これも少子・高齢社会の一断面なのだろう。地域の伝統行事をどう守り、どう維持していくのか――関係者の胸中が察せられる「時代の変化」ではある。
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