2010年12月11日土曜日

「迎い酒」


筑摩書房で草野心平の担当編集者だった晒名昇さんが、のちにたずさわった『草野心平日記』(全7巻・思潮社)にからんで、2004年の「現代詩手帖」6月号に掲載された鼎談のなかでこんなことを言っている。

「先生の独特の声と少し尻上がりのイントネーションは、まさしくいわきのイントネーションなんですね。/『え』と『い』の入れ違いがいわき方言だろうと思いますが、これを直してしまうと標準語みたいになってしまう。日記では『迎え酒』が八割以上『迎い酒』なんですね。しかも迎えるだけではなくて、『向かい酒』というのもある」

「迎い酒」は正しくは「迎え酒」なのか。心平と同じ福島県の人間として、「迎い酒、迎い酒」と何の違和感もなく言ってきたのだが――驚いた。いわき市立草野心平記念文学館=写真=の「年報」によれば、同文学館での講演でも晒名さんは同じような意味のことを語っている。

で、辞書に当たったら、辞引きとしては「迎え酒」しかなくて、「二日酔いの気を発散させるために飲む酒」(広辞苑)とあり、「迎い酒」は「ともいう」程度の二次的な扱いだった。別に間違いではない。が、「正」と「副」くらいの違いはある、そういった認識は必要だ、ということなのだろう。

先日、何年ぶりかでほんとうの朝帰りをした。カミサンが言うには、午前6時ごろ(東の空が白み始めていたが、まだ薄暗い)の帰還だったらしい。寄り合いがあり、知人と2次会に行き、そこに別の知人がいて、同じ寄り合いに出た愚息があとから合流した。

一人は電車の時間だからと言って午後10時前に帰り、残る3人で議論が始まった。そこからあとの記憶がない。

翌日は一日中、こたつにもぐって本を読んでいるふりをした。完全な二日酔いだ。宵になったので酒に向かうことにしたら、冷たい視線に射抜かれた。が、「向かい酒」をやったおかげで、不快感はほぐれた。単に頭をマヒさせるだけでも気分的にはプラスになるので、「迎い酒」はやめられない。

わがいわき市の若い市議が酒気帯び運転で事故を起こし、現行犯逮捕をされた(のちに辞職)。そのニュースに接して、「『体調不良』を理由に開会中の師走議会を休めばよかったのだ」と思ったが、それでは議会軽視になる。やはり、議会開会中の深酒はまずい。自覚が足りなかった。

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