2010年12月15日水曜日

火の番


カミサンの実家(米穀店)で餅つきの手伝いをした。師走恒例の作業で、つきたての餅はお得意さんや知人に贈られる。歳暮は別に準備するから、「歳暮のようなもの」だ。

臼と杵でぺったんぺったんやったのでは間に合わない。蒸籠(せいろう)で蒸したのを台形の餅つき器に入れて餅にする。それを量りにかけてナイロン袋に詰める。

朝9時に着いたときには、すでに作業が始まっていた。去年も書いたが、ドラム缶を利用したマキ釡の火の番・湯の番をする。「カマジイ」だ。

マキは毎年、庭の剪定木を切って一年ねかせたのを使う。焚き口=写真=をのぞきながらマキを補給する。昼食の時間に少し休んだだけで、それを夕方4時すぎまで続けた。去年よりは時間がかかった。

火が発する力なのだろうか。マキを焚き口に投入し、ときどき炎の具合を確かめていると、囲炉裏に転げ落ちて左手をやけどしたこと(3歳)、町が大火事になったこと(7歳)などが、脳裏をかすめる。揺れ動く炎にとらわれてそこから離れられなくなる。ガストン・バシュラールに『火の精神分析』なる本があったことも思い出す。中身はとっくに忘れたが。

火に関する記憶で大火事の次に鮮明なのは、家からマッチ箱を持ち出し、家並みの外側に連なる田んぼの土手に穴を掘り、杉の枯れ葉や柴を詰めて火をつけ、煙が立ちのぼったところへ大人が通りかかり、「コラッ!」と大声でどなられた瞬間、ガキどもがクモの子を散らすように逃げたことだ。町が大火事になる前の、記憶に残る最初の「悪さ」。

身を焦がすほどの目にあい、火をつける快感にふるえ、しかしそうした出来事を今は遠く回想するところにいる。マキの炎は、静かに、ゆっくりたゆたっていた。

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