2015年12月25日金曜日

夕日は南に沈んだ

 専称寺(いわき市平山崎)の裏山に沈む夕日を見た。残念ながら真後ろではなかった。やや左(南)、11時の方角だった=写真。
 ネットに、真正面から夏至の朝日が昇るところでは真後ろに冬至の夕日が沈む、といった情報があった。専称寺の本堂を中心点にすると、「夏至の日の出線」と「冬至の日の入り線」が一直線で結ばれるのではないか。「山越え阿弥陀」は冬至の夕日そのものではないか――期待と願望も加わってそう思い込んだら、なにがなんでも日の入りを確かめたくなった。
 
 いわきの歴史研究家、故佐藤孝徳さんに教えられたのは、春分・秋分の日、本堂の裏山に夕日が沈む、というものだった。裏山は竹林で鞍部になっている。そのへこみに沈む夕日をたとえるなら、西方浄土へ死者を導く「山越(やまごえ)阿弥陀」だ。
 
 今から22年前の3月(記録によると、春分の日の半月前)の夕方、本堂の裏へ立った。確かに、鞍部に夕日が沈んだ。観念の浄土と現実の寺とをつなぐ工夫に感嘆した。次は朝日だ。寝坊したり忘れたりして15年あとになったが、2008年の春分の日の2日後(雨でこの日に)、未明に出かけた。海から昇った太陽は本堂から1時の方向にあった。本堂の向きは真東ではなかった。

 夏至や冬至、春分・秋分といった1年の節目の日の太陽の光によって聖地が結ばれる現象・配置を「レイライン」(光の道)という。研究者の内田一成さんは、専称寺は本堂がやや北に向いているので、春分・秋分の日よりは夏至の日に朝日がまっすぐさしこむのではないか、という。その延長で、「冬至の日の入り」を見たくなったのだが……。過去2回の経験をすっかり忘れていた。

 冬至の12月22日は、夏井川の左岸堤防から対岸の専称寺を見た。が、裏山に夕日が沈んだあとで、日没点は確認できなかった。ただ、山際の残光の強さから本堂の南側に沈んだことが推測された。

 翌23日(天皇誕生日)は、日中曇って夜、雨になった。国土地理院の電子地図から本堂と真向かいの地点を絞り込み、国道6号常磐バイパス終点部の夏井川橋と寺に近い堤防で“カメラハンティング”をした。雨が上がったきのう24日、その2カ所で日の入りを確かめた。本堂の南側、11時の方向だった。

 本堂を斜め向かいから見るように上流側へ進むと、確かに裏山に沈むようには見えた。しかし、それは写真の詐術にすぎない。やはり、夕日は孝徳さんのいう通り春・秋分の日に裏山に沈み、朝日は内田さんが推測するように夏至の日に真正面から昇ってくるのだろう。
 
 来年(2016年)は春分の日に夕日を眺め、夏至の日に朝日を眺めることにしよう。そんなことを考えながら晩酌を始めたら、テレビがクリスマスイブのニュースを伝えた。わが家は夫婦2人だけになったので、とっくに仏教に戻っている。

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