シャプラニール=市民による海外協力の会のネパール事務所長から、シャプラ支援者あてに手紙が届いた=写真。4月25日の大地震から7カ月。シャプラが現地のパートナー団体と取り組んでいる支援活動の現状を報告し、併せて支援継続のお願いをしている。写真が同封されていた。
「写真は土砂崩れの危険から移住を余儀なくされた集落の人々への仮設住宅支援事業で、部屋の壁になる竹を組み編む村人の姿です。生活の糧である畑から離れた場所に住まなければならず、帰還の目途もたっていません。事業では服の仕立てのために使うミシンや、野菜の行商に使う自転車なども併せて提供しました。新しい環境での生活に戸惑いながらも、助け合いながら生活を進めています」
写真からは、少し盛り土をしたところに柱を立て、屋根をふき、壁の骨組みになる竹を編んでいる様子がうかがえた。柱は工場で生産されたものらしい。屋根は波型トタンだろうか。
方形の柱の合間に竹の柱も立つ。壁の骨組みになる竹は、柱に使われている竹よりは細そうだ。それを二つに割って互い違いに編み上げていく。籠を編むのと原理は同じで、それを「人の住む器」に応用した。最初、このままではすきま風が――と思っていたが、まだ壁づくりの途中だった。
ネパールからの手紙と前後して、東京のシャプラから会報「南の風」その他が届いた。そこに掲載されていた写真を見て納得する。編んだ竹の骨組みに女性たちが土を塗っている。そうして土壁が仕上がる。屋根こそ違うが、かやぶき時代の日本の家屋と同じではないか。
「南の風」にネパール事務所長が「地震被災者の再定住事業」と題して書いている。手紙と併せて読むと、さらに理解が深まる。「政府から用意されたのは移転先の土地のみ。不可触民であるダリットが多く住むこの集落では住民自身が自力で仮設住宅を建設し、新しい生活基盤を築いていくのは困難な状況でした」。彼らの再定住のための仮設住宅支援事業だった。
東京からの封書には、東日本大震災後、いわきで支援活動に従事した現事務局長の「年末年始募金協力のお願い」も入っていた。ネパールやバングラデシュでの通常活動、災害支援活動を伝えながら、「南アジアの人々の暮らしを支え、よりよく変えていくために」と呼びかけられては無視できない。「払込取扱票」をはがし、書いてある数字の真ん中の金額を送ることにした。
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